あれから25年:世界の中長距離界の歴史の中で最も偉大な一夜を振り返る【世界新が2つ生まれた1995年8月ウェルトクラッセチューリヒ】

2人の伝説の中長距離選手による2つの世界記録。25年前の1995年に開催されたウェルトクラッセチューリヒ(当時チューリヒGP・現チューリヒDL)では、ハイレ・ゲブレセラシエモーゼス・キプタヌイ“2つの壁を破るパフォーマンスでトラック中長距離全盛期の扉を開けた。それは、ヨーロッパで最も素晴らしい大会で、その時が1つの黄金時代だった。

 

ハイレ・ゲブレセラシエはその時、歴史に名を刻もうとしていたが、実況のラリー・ローソンは怯えていた。

1995年8月16日、ローソンは毎年恒例のウェルトクラッセチューリヒのために、レッツィグルンド・スタジアムのフィニッシュ地点の上にある放送席に座っていた。彼は視聴者のために、選手がどれくらいの速さで走っているのかきちんと説明する。

この場合、ローソンはゲブレセラシエが当時の5000m世界記録(12:55.30)を破るために 1マイルあたり4:09.49のペースで3回+200m走りきらないといけないことを知っていた。ローソンはそのペースよりもわずかに余裕のある、1マイル4:10がこのレースのポイントとなるペースだと判断した(ラスト1周はペースが上がるので)。

しかし、このチューリヒの夜に、その短い身長ながら大きい走りをする“小さな巨人”ともいえるゲブレセラシエが周回を重ねるごとに、ロイヤルブルーのアディダスのランパンの後ろにかかとが今にもつきそうなランニングフォームを見て、ローソンの心の奥でもしかしたら….とゾッとしていた。

ゲブレセラシエは3200mを8:13で通過しており、それは4:07マイルのペースで、当時の世界記録ペースよりも十分上回っていた。そして彼はそこからスピードを上げる…

ローソンは時計の通過記録を読み上げ、同時に信じられない様子だった。ゲブレセラシエは3200mから3600mを60.7でカバーしたその後、60.1、60.2、さらに60.2とレースの終盤にかけて周回を重ねた。

ゲブレセラシエは残り200m地点で世界記録更新を確実にし、フィニッシュ地点では世界記録を10秒以上更新していた(12:55.30 → 12:44.39)。

ゲブレセラシエはあまりにも速く走っていたので、ローソンは我が目を疑い始めた。ローソンが通過記録を集計していた時に時折、5000mのスタート地点の電光掲示を確認していたが、審判が群がっている時に部分的に見えなくなっている時があった。

彼は間違った通過記録を集計していたのか?

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「自分自身に言い聞かせていたんだ…オイ、マジかよ。」

「…あれは、今まで見た中で最も素晴らしいレースだったと思う。実況でそれをリアルタイムで伝えるということと、その通過記録がもしかしたら間違っているのでは、ということを考えると当時はちょっと怖かったんだ」

ローソンが実況で伝えたことは間違っていなかった。

ゲブレセラシエは12:44.39 でフィニッシュして、モーゼス・キプタヌイがその年(1995年)の初めにマークした世界記録を10.91更新した。この更新幅の大きさは、男子5000mの世界記録更新において、この半世紀では1番大きな更新幅だった。

フィニッシュラインを通過した数秒後、キプタヌイはゲブレセラシエを祝福するためにコース上にいた。キプタヌイは、自分が男子5000mの世界記録保持者としてわずか2ヶ月しか君臨しなかったことに少しがっかりしていたが、それでもキプタヌイはそのレースの2時間前に、3000mSCで史上初となる7分台の世界新記録をマークしていた。

その瞬間、エチオピアの最高の中長距離選手とケニアの最高の中長距離選手が抱き合った。2人の男、2つの伝説的な世界記録、そしてチューリヒでの忘れられない夜。その経緯は以下の通りである。

Weltklasse1995-haile-gebrselassie

***

2001年エドモントン世界選手権の女子1500m準決勝で、スージー・フェーバー・ハミルトンが残り1周で途中棄権した後、彼女は陸上競技の歴史に名を残すような説明をした。

「もう前に追いつくことはできないと思った。だから、もう1周走って消耗するなら、途中棄権をしてチューリヒまでに自分の力を温存しようと思った」

このハミルトンの受け答えはハッキリしていた。世界選手権を途中棄権したのは、その後のヨーロッパの大会(チューリヒ)のためなのか…?

しかし、本当の事実は、彼女の説明の中でチューリヒに触れたことが物語っている。1980年代から1990年代にかけて、チューリヒはヨーロッパのサーキットで重要な大会として機能していた。

「チューリヒの大会ディレクター のアンドレアス・ブルッガー(チューリヒの銀行のコミュニティのメンバー)は、主要スポンサーとテレビ放映権を主とした大会予算482 万ドルの中で、選手招聘に296 万ドルをあてている。そのおかげで、ほぼ全ての世界トップクラスの選手を招聘することができる」

ブルッガーが毎年招聘した選手の才能は優れており、ウェルトクラッセチューリヒは次第に「3時間のオリンピック」として知られるようになっていった。

しかし、この大会の魅力はチューリヒの資金力だけではなかった。

2万4000人収容のレッツィグルンド・スタジアムは、大会開催の1年前までにチケットが完売するほどの絶大な人気を誇った。ビジネスマンたちは大会開催までの半年間、地元の新聞に広告を出して、ゲストのためにキャンセル待ちのチケットを探していた。

そして、レッツィグルンドほど陸上競技を見るのに最適な場所はそれまでになかった。

1995年にスウェーデンに留学していて、夜行列車に乗って当時、この大会を観戦しに行ったWA公認代理人のダン・リロットは話す。

「スタジアムの立ち見席では特に大きな歓声が上がっていて、サッカーの応援歌のようで、当時のサーキットで開催されたどの大会よりも最高の雰囲気だった」

大会の資金力と、超満員のスタジアムの人だかりの中で、誰もがこの大会に出場したいと思っていた。そして面白いことに、2001年のフェーバー・ハミルトンの「チューリヒのために世界選手権の準決勝を途中棄権した」、という悪名高い名言の6年前(1995年)、ゲブレセラシエやキプタヌイもチューリヒへの準備をしていた。

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1995年8月8日、スウェーデンのイェーテボリで開催された世界選手権の10000mでゲブレセラシエが優勝した。

彼はこの世界選手権の5000mの予選にもエントリーしていたが、決勝は8月13日だった。しかし、ゲブレセラシエは8月16日のチューリヒで5000mの世界記録に挑戦したいと考えていたので、この過密スケジュールが問題となった。

現実的には彼はその両方(世界選手権5000mとチューリヒでの5000mWR挑戦)を選択することはなかった。もし彼が世界選手権で5000mを走っていれば、チューリヒで世界記録を狙うにはスケジュールが過密すぎる。

ゲブレセラシエは選択を迫られた。

彼の当時の代理人であったヨス・ヘルメンスによると、この決断はゲブレセラシエの競技実績の遺産に関わるものだった。この1995年の時点で彼はオリンピックに出場したことがなかったが、ヘルメンスはモンスターのような才能を持った選手であることを確信していた。

そして、多くの人が考えていたのは、チェコスロバキアのエミール・ザトペックが持っているような多くの当時の世界記録とオリンピックでの長距離種目3冠といった快挙に対して、ゲブレセラシエのキャリアの中でその偉大な姿に近づくためには何が必要なのか、ということだった。

ヘルメンスは、1952年ヘルシンキオリンピックで5000m、10000m、マラソンの長距離3冠を達成したザトペックの最も伝説的なパフォーマンスに、ゲブレセラシエが匹敵する可能性は低いと結論づけた。

しかし、彼はその一方でゲブレセラシエが他の分野でザトペックを超えることができると感じていた。

「ザトペックが当時、世界記録を18個も破っていることに気がついた」

と、ヘルメンスは言った。

「とにかく、少なくとも自分たちはそれを上回れるのではないか、と考えていたが、最終的にはハイレが様々な種目で世界最高記録を26、27回更新していた」(2007年6月までに24回更新+マラソンで2回、その途中通過の30kmも当時の世界最高)。

ゲブレセラシエがイェーテボリの世界選手権の10000mで優勝した後、彼とヘルメンスは彼の競技実績における遺産で、何がより重要なのかを考えた。彼らは世界記録を狙うことを選択した。

それに加えて:当時の5000mの世界記録はケニアのキプタヌイが持っていた。エチオピア人のゲブレセラシエは、母国のためにこの世界記録をエチオピアに取り戻したいと考えていた。

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キプタヌイも同様に、イェーテボリ世界選手権とチューリヒの間には、素早い気持ちの切り替えが必要だった。イェーテボリ世界選手権3000mSC決勝は8月11日で、チューリヒはそのわずか5日後だった。キプタヌイは世界選手権の決勝で8:04.16(当時の世界歴代3位相当)で楽勝したものの、その後のチューリヒのことが頭にあったので、ラスト1周でわざとスピードを緩めてしまった、と当時話している。

「世界選手権では世界記録を更新することもできたが、残り400mで自分があまりにも独走していることがわかったので、チューリヒで記録を残すことにした」

と、キプタヌイは語った。

キプタヌイはなぜそう思っていたのか?

それは単純に、“世界記録を更新するならチューリヒで更新したい”と、当時思っていたからである。現在のチューリヒの大会の共同ディレクターであるクリストフ・ヨホによると、優勝選手たちが受け取る「金塊」のようなものは、実際にはチョコレートであったそうだが、選手たちはその現金価値(1995年当時では12,000ドル以上)を受け取ることができた。

***

キプタヌイは1992年8月16日、ケルンで行われた3000mで7:28.96をマークして、彼にとっては初の世界記録を手にした。その3日後には、チューリヒで行われた3000mSCで8:02.08を記録して2つ目の世界記録を手にした。

世界記録を2つも獲得したことは彼にとって喜ばしいことであったが、キプタヌイはもっと大きなことを考えていた。彼はチューリヒで再び“3000mSCで史上初の7分台を狙う”ということを誓った。

キプタヌイはその後の3年間、目の前のレースのほぼ全てで安定して勝利を収めた。そして、1995年は彼にとって最高の1年となり、人生最高の状態でチューリヒに参戦した。そのシーズンにはすでにフラットの3000mで7:27.18と、5000mで12:55.30の自己記録をマークし、5000mは当時の世界記録であった。

3000mSCでは1995年のチューリヒまでに8分1けた台前半の好タイムを連発しており、3大会連続で世界選手権を制していた(1991、93、95年)。彼が8分台を突破するための準備は全て整っており、キプタヌイはペーサーを使わずに単独走で7分台を出したいと考えていた。

「調子が良くて、クールなことができることを世界に証明したいと思ったこともあった」

と、キプタヌイは当時話した。

「ペーサーなしで走ることは何年も前から望んでいたこと。ペーサーがいないと記録を更新できないと思っている人もいるからだ。ペーサーがいなくても記録を更新できることを証明したかった」

キプタヌイのマネージャーである故キム・マクドナルド(Kimbia Athletics創設者)は、キプタヌイにペーサーを使うように説得したが、キプタヌイはそれを拒否した。ペーサーをあえて使わないことで自身の壁を破れると。そしてもっと重要だったのは、ペーサーがいないほうがプレッシャーなく彼の心が楽になるということだった。

「ペーサーがいれば、それは自分にとって快適ではないかもしれない。自分だけでできるということを証明したかった」

と、キプタヌイは話した。

マクドナルドは譲歩し、キプタヌイは単独走で前人未到の7分台に挑戦した。

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チューリヒでは、キプタヌイが序盤からトップに立ち、残り3周でトップ集団は世界選手権のメダリスト3名に絞られた。その1周後、コスケイとアル・アスマリはペースを落として離れ、キプタヌイは正真正銘の単独走で世界記録に向かっていた。

キプタヌイがラスト1周の鐘を6:59で聞いた時、世界記録更新は難しいように思われたが、彼はそれ以上のことを望んでいた。

「ラストの400mは速く、そしてリズムよく。そして自分ならできると思っていた」

と、キプタヌイは話す。

キプタヌイはホームストレッチで腕を上げ、ラスト1周を60.10でまとめて7:59.18で3000mSCで史上初の7分台を記録した。キプタヌイは“レースが苦ではなかった”と後に振り返った。

その2日後のケルンで3000mを7:28で走り、8月25日のブリュッセルでの3000mSCで再び7分台を記録したのも調子が良かったからだろう。

この年の終わりまでにキプタヌイは快進撃を続けた。キプタヌイは1997年に3000mSCで7:56.16の生涯最高記録をマークしたが、初めて7分台を記録したレースが彼のキャリアの中で最も誇りに思っていることだという。

「陸上競技の世界では、これが当時の最高の成果だった」

【1995年8月16日:モーゼス・キプタヌイが3000mSCで史上初の7分台】レース動画
1000m 2:41.25
2000m 5:13.84(2:32.59)
3000m 7:59.18(2:45.34)ラスト1周60.10
※ペーサー無し

キプタヌイが8分台の壁を突破したことは、世界の中長距離界における偉大な功績の1つであることに変わりはない。

しかし、それはこの一夜での最高のパフォーマンスだったとはいえないのかもしれないが、それにしてもこのキプタヌイのレースの後に行われたゲブレセラシエの走りは素晴らしかった。

ゲブレセラシエがウォーミングアップを終えて5000mのコースに向かって歩き出すと、ヘルメンスは彼のスプリットを読み上げるためにスタートライン近くのスタンドに移動した。

ゲブレセラシエはこのレースのために体調を整えていた。

1週間前のイェーテボリ世界選手権では、27:12.95で世界選手権の大会記録を更新していた。このレースでのラスト200mは、同大会でウィルソン・キプケテルが800mで金メダルを獲得するためのラスト200mの25.1よりも速かった(キプケテルは800m決勝をネガティブスプリットで優勝)。

ヘルメンスはチューリヒで5000mの世界記録が更新されることを確信していた。

キプタヌイとは異なって、ゲブレセラシエはペーサーを起用したが、その年の初めにローマで5000mの当時の12:57の世界記録を更新しそうになったワーク・ビキラなどがペーサーを務めた。序盤はアイルランドのフランク・オマラが先導し、ビキラは1600mを4:08で通過する直前に先頭に立った。

ビキラはペースを少し上げて3000mを7:42、3200mを8:13で通過したが、ゲブレセラシエはもっと速く走りたいと思っていた。3400mでゲブレセラシエはビキラを大きく振り切りってさらにペースを上げた。

この時、事態は急変していく。ゲブレセラシエはそれまでよりも速い1周60秒台のラップを連発し、超満員の観客を熱狂の渦に巻き込んだ。そして、ファンの声が大きすぎて、ヘルメンスはゲブレセラシエにスプリットを伝えることができなくなっていた。

「ラスト1周の時点で、彼は世界記録ペースを大きく上回っていたので、私はもうタイムを読み上げなかった」

と、ヘルメンスは言った。

ゲブレセラシエは12:44.39でフィニッシュし、キプタヌイが持っていた5000mの世界記録を更新した。ビキラはペーサーとして素晴らしい仕事をしたが、実際ゲブレセラシエはラスト1マイルを単独走ながら4:00で走っているので、キプタヌイのようにこの一夜で世界記録を破るためにペーサーを必要としていなかったのではないだろうか。

【1995年8月16日:ハイレ・ゲブレセラシエが5000mで史上初の12:40秒台】レース動画
1000m 2:34.10
2000m 5:08.70(2:34.6)
3000m 7:42.92(2:34.2)
4000m 10:14.15(2:31.23)
5000m 12:44.39(2:30.24)ラスト1周59.69
※3400mまでペーサー有り

1600m 4:08
3200m 8:13(4:04)
ラスト1マイル 4:00

ゲブレセラシエもキプタヌイも大のパーティ好きではなかったので、ハチャメチャなお祝いではなかった。記者会見とドーピング検査を終えたゲブレセラシエがホテルに戻ったのは午前1時を過ぎてからだった。

キプタヌイはホテルに戻って、夜遅くまで友人たちとレースの話をしていた。

「自分の人生で何か素晴らしいことを成し遂げたことに、本当にホッとしたし、嬉しかった。あの一夜で、私とゲブレセラシエが同じトラックで成し遂げたことに勝るものはないだろう」

と、キプタヌイは話す。

2020年には、世界の中長距離界においてトラック種目で世界記録が1つだけ更新された、という事実はとても刺激的である(ロードではこの数年で世界記録が頻繁に更新されている:2018年男子マラソン世界記録、2019年男子ハーフ、10km世界記録、女子マラソン世界記録、2020年男子5km、10km世界記録、女子ハーフ世界記録など)。

先週の金曜日のモナコDLでのジョシュア・チェプテゲイの信じられないような走りは、15年ぶりの男子トラック中長距離種目(1500m、3000m、5000m、10000m、3000mSC)のうちの世界記録更新の1つだった。

しかし、1990年代後半の数年間は、チューリヒでは世界記録更新のオンパレードだった。

キプタヌイとゲブレセラシエの有名な一夜からわずか2年後の1997年、チューリヒでは男子800m、5000m、3000mSCで3つの世界記録が更新された。あの頃の観客の熱気と、いつでも歴史に名を残すことができるという期待感に包まれたチューリヒの夜は、その場にいた人たちが決して忘れることのできない臨場感を生み出していた。

「あの雰囲気は、昔のスタジアムのように最近のチューリヒには戻ってきていない」

と、ヘルメンスは回想する。

「“愛は空気感の中で生まれる”とよく言われるが、とはいえ、今回のチェプテゲイの素晴らしいパフォーマンスもまさにその空気の中にあるという感じで、まるで、素晴らしいパフォーマンスが出る雰囲気がスタジアムの空気感として存在していたようだった」

 

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