(筆者のエモリー・モート、またの名をポートランド在住のレッツラン 初期メンバーという)
オレゴン州ビーバートン – 誰もが予想していなかったアメリカ人、ウッディ・キンケイドによる12:58.10。彼はそれまでの自己記録を14秒更新し、ナイキ本社のキャンパスのマイケルジョンソントラックでのタイムトライアルで先頭を駆け抜けた。そして、彼のチームメイトのロペス・ロモン(13:00.13)、マシュー・セントロウィッツ(13:00.39)も同じく東京オリンピック参加標準(13:13.50)をいとも簡単にクリアしてみせた。
キンケイドはポートランド大学では(クロカン、室内、屋外の)全米学生選手権で5位以上になったことがなく、昨夜までに5000mで13:12.22(室内)の自己記録持っていた選手で、今では12:58.10を走ったことで全米歴代5位にランクインした。彼は現在、ボブ・ケネディ(12:58.21)、マット・テゲンカンプ(12:58.56)、ゲーレン・ラップ(12:58.90)などよりも速い記録を持っている。
キンケイドの大学時代のコーチであるロブ・コナーや筆者の自分も、レース時はバックストレッチにいたので、この森の中の象徴的なトラックの森林に遮られて彼のフィニッシュを見ることができなかった。
しかし、森の向こう側から 「ウッディ・キンケイド、12:58」と聞こえたのだ。
「ウッディのために12:58と言ったのでしょう!」私はコーチのコナーにそう言った。そして、彼はすぐさま「私は驚いていない」と答えた。
キンケイド自身でさえ驚いていたので、コナーは観客の中でも数少ない人々の1人だった。
「今、12:58を出せる調子にあったのかさえわからない!」
キンケイドはレース後の長い祝福の間に記者にこのように話した。
「4、5レーンに多くの※ 大学時代のチームメイト、地元の高校の長距離チームのギャング達や自分の母がいて、良いレースができると感じていた」
(※)ポートランド大学はナイキ本社から車で40分弱のところにある
とはいえ、彼は12:58で走った。
「レース前はピリピリしていたし、自分の目標もどこにあるのかわからなかった。 この通り、正直に言って今日の結果にビックリしている」
今回のレースの雰囲気について、キンケイドはこのように話す。
「これは自分にとってシュールなレースだった。正直に言えば、自分がプロランナーとしてレースに出ているということ初めて感じた。観客がここにいなかったら、今夜の記録は13:20だったかな。でも、観客の声援を味方につけて、友人や知人の前で無様な姿は見せられなかったんだ」
彼はまた、ペーサーでカナダのスターのモー・アーメドと、アーメドが4600mで役目を終えてからのラスト1周でペースを上げたロペス・ロモンを称賛した。
「ロペスがラスト1周で先頭に出てくれて、それを追いかけるだけだった」
レースは涼しくて風のない好条件で始まり、第1ペーサーのアモス・バルテルスマイヤーが1周目を61.1で入った。「パーフェクト!」という声が聞こえ、2周目は63.5。 キンケイド、ロモン、セントロの3人の選手は2人のペーサーについていき、1000mを2:36、1600mを4:12で通過。
1200m地点で私はコナーにキンケイドの様子について尋ねた。ポートランド大学のコーチは「正直、彼は苦しそうに見える」と話し「今年の※ 全米選手権5000mをテレビ観戦していてその時は最初の1000mを2:30で入ったけど、彼は調子が良いように見えた」と続けた。
(※)キンケイドは全米選手権5000mでロモン、チェリモに次いで3位
その頃、キンケイドはロモンとセントロウィッツの間に挟まれていた。レース後の取材で確認したが、キンケイドはレース当日やレース中も調子があまり良くなかったという。
バルテルスマイヤーが1800mまで(4:43)まで引っ張ってその役目を終えると、第2ペーサーのアーメドが先頭に立つ。すると、ラップは62秒台を連続して非常に安定した。そして、小さな列車は3000mを7:51で、3200mを8:24で通過。1マイルごとのラップは4:12と4:12。
東京オリンピックの参加標準記録(13:13.50)の突破を目指したこのレースでは1マイル4:14のペースを目標としていたが、2マイル目が安定したイーブンペースでの4:12だったのに対して、最初の1マイルはちぐはぐした4:12だった。
ペーサーのアーメドの安定した62秒台のラップはその後も継続して、集団は4000mを10:30で通過。私は13分フラットにはラスト1kmを2:30でカバーする必要があるとコナーに言った。するとコナーは「彼らの目標は東京オリンピック参加標準記録の13:13.00」と補足した。
キンケイドはラスト1kmでペースがどんどん上がっていったにもかかわらず、それまでにも感じていた苦しみを乗り越え、ラスト1周の鐘を聞いたとき「60秒で回ってこればいけると思っていた」とレース後に話した。
キンケイドは全力を振り絞り、先頭を走るロモンとの差をラスト200mから詰め始めた。そして、ラスト120mでロモンを交わして最後の1周を57.47でカバー。瞬く間に彼の名を5000mの全米歴代ランキングに刻み、現役選手としては数少ないサブ13:00達成者の1人となった。

彼らはどうやってこの快走を成し遂げたのか?
レースのちょうど48時間前の日曜日の夕方、7月末の全米選手権で成功を収めたBTCのメンバーはユタ州の高地、パークシティにいた。キンケイドはその時、走るのが楽だと言っていた。
ポートランド5000のアイデアは、BTCのお気に入りの高地トレーニングの場所(パークシティやプロボ)でのトレーニングを世界選手権や個々の9月以降のレースに向けてどのようにして調整するか、そして彼らが欧州での5000mのレースを検討しているということから始まった。
そこである選手が「なぜ、ポートランドで5000mをやらないのか?」と、本気で考えた(彼らはポートランドに自宅がある)。そのようなことから、彼らは改修中のユージンのヘイワードフィールドの1レーン内側のレールをマイケルジョンソントラックに持ってきて設置する。そして、公認の5000mのレースとなるようにUSATF(米国陸上競技連盟)に測定させた。
さらには、ポートランドで影響力のあるポートランドランニングコミュニティに協力を依頼してポートランド5000として開催された。その結果、極めて速い3人のサブ13:01を生み出した。まるであくびが出るようなアイデアで…
セントロウィッツは、来年の東京オリンピックのシーズンで5000mに出場する準備ができていると考えている。キンケイドは、全米選手権で3位に入った時から自分の調子が良いことがわかっていたので、それをユタの高地で40日ほど維持することは難しくないと話した。
そして、レース終了後におそらく他の誰よりもファンと交流したロモンは、キャリア後期にかけて夢の絶頂期を迎えている。そして、ロモン、セントロなどのドーハ世界選手権に出場するBTCのメンバーは(キンケイドは出場できない)、世界選手権前の調整をスイスのサンモリッツで行う。
最高のレースの後、3人の選手とアーメドはレース後のセルフィー、インタビュー、集合写真、サインなどリクエストに夢中になった。そこで、キンケイドは最も静かだった。
多くのティーンネイジャーの長距離選手のファンを持つ2人のオリンピック選手 – 華やかなロモンと社交的なセントロがファンサービスをしている一方で、記者は彼らに比べると控えめなキンケイドのコメントを聞くために本当に集中する必要があった。
【ポートランド5000】結果
1 ウッディ・キンケイド Nike/BTC 12:58.10 全米歴代5位
2 ロペス・ロモン Nike/BTC 13:00.13 全米歴代9位
3 マシュー・セントロウィッツ Nike/BTC 13:00.39 全米歴代10位
以上が東京オリンピック参加標準達成
4 ジュリアン・ヘニンガー Btc Elite 14:49.00
5 ジェレミー・フリード Btc Elite 14:50.59
6 リャム・メイロー Btc Elite 15:11.10
第1ペーサー:アモス・バルテルスマイヤー Nike(1800m4:43まで)
第2ペーサー:モー・アーメド Nike/BTC(4600m11:58まで)
1000m2:36
2000m5:15(2:38)
3000m7:51(2:36)
4000m10:30(2:38)
5000m12:58(2:28)
【レース動画】
【レース後のコメント】
今回の高速レースについて:
Q:「ポートランド大学時代のコーチ(ロブ・コナー)は、あなたが1000〜2000mですでにキツそうだった言っていた。実際にはどうだった?」
キンケイド:「良くなかった!」
ラスト1マイルについて:
「最後はペースアップしていって、ランニングフォームも崩れてきて、だんだん苦しくなってきたけど全力を出し切った」
ラスト〜フィニッシュラインについて:
「ロペスにラスト150mで並んで、おそらくラスト120mで抜いて。よく覚えていないけど無我夢中だった」
12分台に至るまでについて:
「レース前はピリピリしていたし、自分の目標もどこにあるのかわからなかった。 この通り、正直に言って今日の結果にビックリしている」
ポートランド大学時代のチームメイトをこのレースに参加させることの意味:
「それが自分が速く走れた唯一の理由で、それが真実。 大学時代の友人知人が背中を押してくれて、観客の半分ぐらいは知り合いだったし、自分の母もここに来ていることを知っていたからね… 彼らが後押ししてくれた」
セントロがオリンピックで5000mに照準を定めることについて:
セントロ:「(5000mに加えて)10000mにも挑戦するかもしれないね。(笑みを浮かべながら)そのうちわかると思うよ」
このポートランド5000のレースに向けて:
「自分は1500mの選手だからね。ドーハ世界選手権では4日間で3レースを走る。世界選手権とオリンピックでその(過密)スケジュールで走ったのは2015年北京世界選手権の時しかなくて、その時は※8位だった」
(※)セントロの世界大会の実績
2011年大邱:銅メダル
2012年ロンドン:4位
2013年モスクワ:銀メダル
2015年北京:8位(4日間で3レース)
2016年リオ:金メダル
「モロッコのイギデールはその時に銅メダルを獲ったけど、数週間後のDLの5000mで12:59で走ったね… それは彼がただ速いだけではないということのヒントを私に与えたんだ。でも、それを見て…自分は今年で30歳。800mでも自己記録を狙えるかもしれないし、それは(仮の話だから)自分にはわからないけれど、イギデールやヤコブ(インゲブリクトセン)との差を埋める必要があるね」
「もし、自分が1500mでサブ3:30をしたいのなら、もし(4日間で3レースの)世界選手権でメダルを獲りたいのなら、5000mでも走れることが必須。それで、ジェリーにこう言ったよ。“来月、(このような形のレースで)5000mを走って、9月は感覚に磨きをかけていこう”」
レッツラン 記事
Woody Kincaid Burns Up Nike’s Famed Wooded Track with 12:58 PB for 5000
ピンバック: ドーハ世界選手権男子5000m展望:本命不在の混戦でヤコブ・インゲブリクトセンによってこの種目で20年ぶりの欧州勢のメダル獲得となるだろうか? – LetsRun.com Japan