(序文)
アメリカ人選手として108年ぶりの男子1500mでのオリンピック金メダルを獲得となったリオオリンピックでのマシュー・セントロウィッツの優勝。それから2年の月日が経ち、世界の男子1500mは2人のケニア人選手によって独占された。
2017年ロンドン世界選手権金メダリストで2018年コモンウェルスゲームズとアフリカ選手権を制したエリジャ・マナンゴイと、そのトレーニングパートナーで、2018年はダイヤモンドリーグで連勝を重ね、年間王者に輝いたティモシー・チェリヨットである。また、マナンゴイの弟である、ジョージ・マナンゴイも1500mにおいて2017年U18世界選手権と2018年U20世界選手権を制覇した。
この3人の世界王者はケニアの首都ナイロビからそう遠くないロンガイという場所にあるRAC(ロンガイ・アスレチッククラブ)で一緒にトレーニングをしている。ただでさえ混戦を極める1500mという種目において同じチームから世界王者が3人も出るということは極めて稀である。
ケニアの長距離選手は標高2000m弱のンゴング、2000m前後のエルドレット周辺(ナンディヒルズ、カプサベト、カプタガトなど)、標高2400mのイテンなど、標高1960m以上の場所でトレーニングを重ねているが、中距離選手や短距離選手を抱えるRACは標高1600〜1725mのオンガタロンガイの町でトレーニングをしている。
3人の世界王者を育て上げたのは「空手の黒帯を持つ」の元空手家のケニア人コーチ、バーナード・オウマである。オウマは2006年に「才能の発掘と貧困からの救済のためのCSR(企業の社会的責任)プログラム」としてRACを創立した。オウマはIAAFの公認コーチングライセンスのレベル2を保持し、ハンガリーのブダペストでスポーツ科学修士号を取得しているコーチである。
世界最高の1500mのトレーニンググループとなったRACの秘密にレッツランが迫った記事が以下である。記事が長いので5回に分けて公開していく。
*** ③
マナンゴイは素晴らしいメダルコレクションを持っていると思うが、ティモシー・チェリヨットがRACの規範となる門下生であるといえる。チェリヨットはおとなしい性格で、あまり目立たない。しかし、チェリヨットは、オウマのリクエストに応えるようにデザインされたランニングマシーンのような選手である。厳しい練習にも耐えることができ、レースでは怖いもの知らず、残り数周残っていても積極的に攻める、そして、オウマのトレーニングに決して疑問を持たない。
「彼はコーチをすごく信頼している。もしコーチに、水の中で寝ろと言われたら、水の中で寝てしまうような、そんな選手だ」
オウマはそう話した。
オウマが1つだけ修正したいことがある。チェリヨットのランニングフォームである。独特の前傾姿勢なのだ。
「昔からの癖がある。大きく変えることはできないけれども、良い方向へ向かわせることはできる。彼のストライドに関してはずっと指導をしており、昔はすごく長いストライドだったが、今は短くなっている」
オウマが、チェリヨットを紹介されたのは、彼が18歳だった2014年の春。1994年コモンウェルスゲームズ3000mSC銀メダリストで※ケニア刑務官チーム(Kenyan Prisons team)のヘッドコーチだったギデオン・チルチルが、チェリヨットを紹介してくれた。チェリヨットはシンゴーウェット(Singorwet)という村の農家に生まれ、特に何もなく育った。しかし、チルチルは気付いていた。チェリヨットがボロボロのシューズで地元のトラックを走っていること、そして彼の眼には強い決意があることを。
オウマに「この18歳のチェリヨットを助けてくれないか」と、チルチルは頼んできたのだ。RACのモットーは「運に見放されてきた若い才能ある選手を支援する」こと。※ 当時、選手やスポンサーからコーチ料をとっていなかったオウマは、チルチルに次のように話した。
「次のU20世界選手権ケニア選考会にチェリヨットを参加させれば、シューズを持ってくるので彼の走りを見て評価したい」
(※)現在のオウマは実績があるためナイキが彼にコーチ料を支払っている
新しいシューズを履いたチェリヨットは、800mを1:45.92という記録で走り、2秒以上も自己記録を更新した。ケニア代表になるために、たった0.07秒足りなかったが、オウマがチェリヨットにRACに入るようオファーするには、申し分ない記録だった。
「本当の良いスパイクを履いて走ったのは、彼にとってはあの時が初めてだった。そして800mの自己記録を出した(2018年にその記録は再び更新された)。彼の走りはまだ粗く、ボロボロで、まだ何にも染まっていない走りだった」
オウマはそう話した。

その夏の後、オウマはマナンゴイとチェリヨットを連れてナイロビのインターコンチネンタルホテルに連れて行き、ナイキの重役であるロバート・ロトウィスに会わせた。
「ロバート、いい選手が2人いる。彼らはいつの日かいい選手になるよ。君の助けが必要なんだ」
と、オウマはロバートに話した。
ロトウィスは2人にシューズを渡し、2人はプロ契約の契約書にサインをした。チェリヨットは当時まだ18歳で代理人もいなかった。彼は2年契約(1年目は5000ドル)+2年のオプションでサイン。マナンゴイは当時の段階で既にシニアのケニア代表になっており、複数年契約(1年目は1万ドル)を結んだ。彼らはとても喜んだ。
チェリヨットはU20世界選手権ケニア選考会で良い走りをしたが、オウマは彼に、この年の残りは海外レースではなく練習に集中するように伝えた。
「彼の友達の中には、800mを1:45で走れるならここで何してる?どんどん海外へ出ていかないと!と言う人がいる。彼は規律がある人間だ、外側からの意見には惑わされないんだ」
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