ハーフマラソン世界新記録を樹立したケニアのアブラハム・キプタムとは一体誰なのか?バレンシアハーフ でどうやって58:18で走ったのか?

29歳のケニア人、アブラハム・キプタムがバレンシアハーフマラソンを58:18で走り、ゼルセナイ・タデッセが8年前に出した男子ハーフマラソンの世界記録を更新し、陸上界は騒然とした。

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キプタムという選手をほとんど誰も知らなかった。ファンでさえほぼ知らない選手が、世界記録を出すということが他のスポーツではあり得るだろうか?

ボストンレッドソックスでワールドシリーズMVPに輝いたスティーブ・ピアースはあまりよく知られた選手ではないが、Googleで検索すれば彼についての情報はたくさん出てくる。彼は2001年にレイクランド高校を卒業。2004年の夏にケイプコッド野球リーグのCotuit Kettleersでプレーした。彼が幼い頃ウィッフルボールをしていた時には、レッドソックスのスラッガー、モー・ボーンの真似をしてプレーしていた。

しかし、多くのトップ選手が東アフリカの田舎出身の陸上長距離界では、名前を知られていない選手でも、頂点に近づくことは可能である。マラソンのレースとして世界で1番賞金が高いドバイマラソンでは、まだ誰にも知られていないエチオピア人選手が優勝して20万ドルの賞金をかっさらっていくことで有名である。

先月も、ケニア人の無名選手エマニュエル・サイナ・キプケンボイがブエノスアイレスマラソンで2:05:21という記録で走った。この記録は、南アフリカの大会で出された歴代最速記録である。レースディレクターや代理人でなければ、アブラハム・キプタムの名前を知る者はいなかったであろう(実際に、陸上競技に関することを仕事としている私でさえ、彼の名前を知らなかった)。今回のキプタムのレースの振り返りとして、Tilastopajaに掲載されている彼の選手情報についてもう一歩踏み込んでみる。

ケニアにおける中長距離選手の開発システムは、アメリカのそれに比べてまだ効率化されていない。アメリカの高校で強い選手は秋冬のクロスカントリーシーズンでフットロッカーナイキクロスナショナルズで走り、彼らの記録は全てAthletic.netのようなデータベースに記録される。そこから、アメリカの優秀な選手はほぼ大半がNCAA(その多くが1部の大学)で走るようになる。アラン・ウェブドリュー・ハンターのような例外的選手は、大学の選手よりも有名な高校生選手だった。

(※)アラン・ウェブ:高校時に1マイルの全米高校記録(3:53.43)を樹立。シニア時代も同じく1マイルで全米記録(3:46.91)を樹立した

(※)ドリュー・ハンター:高校時にフットロッカーを制した後に、室内3000mで全米高校記録(7:59.33)を樹立。室内1マイルでもミルローズゲームで3:57.81を記録。その後、高卒でアディダスとプロ契約を結び、現在21歳で1500mの記録を3:36.75まで伸ばしている

マラソン前世界記録保持者のデニス・キメットの話と比較する。彼はケニアの道を走っている時にジョフリー・ムタイによって発掘された選手である。ゲーレン・ラップがポートランドの道を走っているのをアルベルト・サラザールが見つけ出す、というようなことがアメリカで想像できるだろうか?(日本にも同様のことがいえる)

ランニングのメディアとして、結果を研究したり新たな才能ある選手について知ることで、もっと良い仕事ができるようになる。我々はキプタムについて何を知っているだろか?彼の代理人は、スペイン人のフアン・ピネダである。彼が抱える他の選手はIAAFの代理人プロフィールのページによると、エチオピアのゲレテ・ブルカゲンゼベ・ディババ、ケニアのベンジャミン・キゲン、マシュー・キソリオ、バーライニス・サディク・ミクウ、そしてサルワ・ナサーなどだ。

ピネダによると、キプタムに会ったのは2015年4月のラバトマラソンで、マラソンデビューで2:11:36の3位に入った大会だ(マラソンデビューに加え、Tilastopajaのプロフィールによると初めての大会エントリーのようだ)。

「彼は3位だった。しかし、彼の走る姿を見て驚いた。彼は技術的に完璧な走りをしていた」

ピネダは我々に対してのメールでこのように書いていた。

「彼と話してみると、ケニアの貧しい家の出身だと話してくれた。走り始めたのは遅かったが、たくさんの選手が彼のコンディションについてすごく良いと話してくれたみたいだ。この後、彼がトレーニングしているケニアのカプサベトで彼に会ったよ」

キプタムは2015年の終わりにピネダと契約をしたが、その後2つのレースの結果はそこまで印象に残るものではなかった。ラゴスマラソンでの2:16:21、ロックンロールマドリードハーフでの61:52。しかし、それでもキプタムはこの2つのレースで優勝しており、彼ならもっと速く走れるとピネダは確信していた。ラゴスは高温多湿のコンディションだったし、マドリードのコースは上りが多いコースだったからだ。

2016年秋についに、キプタムはコペンハーゲンハーフで初めて高速レースに出場し、59:36で走って自己記録を大幅に更新した。2017年、ラゴスマラソンで2度目の優勝を果たした後(2:15:23)、キプタムジョシュア・ケメイのもとでトレーニングを開始した。ケメイはリオオリンピックマラソン銀メダリストのユニス・キルワ(バーレーン)の夫である。

「彼はハーフマラソンに向けて良いトレーニングをしていたよ。彼はスピードがあるからね。しかし、問題はフルマラソンに向けた練習だった。彼はカプサベトのグループで練習していたが、特にコーチもいない環境での練習だった」

ピネダはメールにそう記した。ピネダによると、ケメイキプタムの練習に注力するようになり、その結果アムステルダムマラソンで自己新記録の2:05:26で3位に入ったのである。2018年4月の大邱マラソンでは2:06:29で優勝し、今年の秋にはシカゴマラソンを走る予定でいた。しかし、ピネダによるとシカゴマラソンから出場が許可されなかったようだ。

なぜならば ※「彼の実績が不十分である」という理由だった。その代わりに、彼は12月7日のアブダビマラソンを目指している。キプタムピネダは、その調整として2つのハーフマラソンを走ると決めていた。

(※)WMMにおけるケニアまたはエチオピアの招待選手の基準が非常に高い

アブラハムはすごく競争心があり、もっと自信をつけるために自らを試す必要がある」

1つ目は9月16日のコペンハーゲンハーフ。キプタムは59:09の自己記録で2位に入り、ピネダはまだまだ彼には余裕があると感じていた。

「彼のコーチと私は、彼の状態は良かったが100%ではないことを知っていた」

ピネダはそう答えた。しかし、59:09から58:18の差は大きい。バレンシアハーフでキプタムが世界記録を出した話には、もう1人別の男の存在があった。

******

バレンシアハーフマラソンのレースディレクターのフアン・マニュエル・ボテッラは近年のレースには誇りを持っている。2017年10月、ジョイシリン・ジェプコスゲイバレンシアハーフで64:51という女子ハーフマラソンの世界新記録を樹立した。2018年3月には、バレンシアで開催された世界ハーフマラソン選手権の総合ディレクターも務め、そこでジョフリー・カムウォロルが15 〜 20kmを13:01というものすごい速さで走って優勝した。

このレースの女子では、ネサネット・グデタが66:11で走って、女子のみのレース(= 男子ペーサーなし)としてハーフマラソンの世界最高記録を出した。しかし、この日曜日のバレンシアでの結果は、この2つをも凌駕するものだった。今回3人の男子選手がサブ59:00を達成したが、1つのレースでそれが達成されたのは歴代でたった3回しかない。そして10人もの選手がサブ60:00を達成した(その内9人はサブ59:30)が、これは歴代でも初めてのことだった。

この歴史的速さで走っていたのは世界新記録を樹立したキプタムだけではなかった。エチオピアのジェマール・イエメール・メコネンも58:33でフィニッシュし、サムエル・ワンジルと並んで世界歴代3位の記録を出した。

ボッテラは真剣に仕事に取り組んでいる。彼がそう言っていたからだ。今年の1月に話はさかのぼるが、レッツラン共同設立者のロバート・ジョンソンと私(ジョナサン・ガルト)は、ドバイマラソンのレース展望を書いた。その展望に、2017年のバレンシアハーフで59:22の自己記録を出したエチオピアのフィカドゥ・ハフトゥのことについて触れた。

「59:22という記録はハフトゥにとって大幅すぎる自己記録の更新なので、誰かバレンシアハーフの距離が正しいかどうか確認するべきだ」

と我々は記した。その夜に、ボッテラからレッツランの受信Boxにメールが届いた。そのメールのタイトルは、

“もちろん、バレンシアは13.1マイルだ”

「君たちのドバイマラソンのレース展望の皮肉な言葉を読んで、傷ついたよ」

そうボッテラは書いていた。

「私のレースの距離に関して疑惑のコメントを書いていて、すごく残念だったし悲しい気持ちになった。我々のレースは、IAAFゴールドラベルのレースであり、AIMSとIAAFのプロの方々によって正しく距離計測されている。2017年にジョイシリン・ジェプコスゲイが世界記録を出したことにより、数週間以内に距離が承認されなければならない。それにより、君たちもバレンシアの距離が正確であると信じざるを得ないと思うが」

「ジョークを言ったり、バレンシアハーフの距離に関して推測したりしないでください。我々についてジョークを言う前に、我々のことを知ってください。我々は公正なスポーツをしている。不公平なスポーツはしていない。記録が欲しいということは決してない。正直で誠実さがなければ、我々は何もいらない」

キプタムが日曜日に世界記録を出した後、私はボッテラにメールをして、なぜ世界記録が更新されたのか彼の考えを聞いてみた。彼の返事はこうだった。

「なぜかって?コース(3月の世界ハーフマラソン選手権と95%同じコースだった = ゴール地点が違う)は高速コースでフラットだったし、バレンシアの天気はマラソンを走るには完璧だった。前の日の夜に大きな嵐があったせいで、空気も澄んでいて綺麗だった」

しかし、ボッテラはスポーツを知っている人だ。信じられないような良い記録が出た時に、その記録が正しく出た記録なのか疑う人が出てくることも承知している。ボッテラはそのような人に対して解答を出している。

「※1 世界記録がここで破られる度に、IAAFによってその都度距離計測がされて正式にそれらの記録が承認されている。世界ハーフマラソン選手権の際は、※2 アスレチックス・インテグリティ・ユニット(AIU)に5万ドル支払ったし、今回のレースでは、16人のドーピング検査員を招集した(土曜日には、招待選手を対象に抜き打ちでさらに11人の検査員を動員)。陽性反応が出た選手は、2度とレースは走れない。我々は競技を愛している。不正は好きじゃないし、不正で生まれた記録はいらない」

(※1)2017 〜 2018年の間に3回、ハーフマラソンの世界記録がバレンシアで更新された

① 64:51(ジョイシリン・ジェプコスゲイ, 2017年バレンシアハーフ)
② 66:11(ネサネット・グデタ, 2018年世界ハーフマラソン選手権)※ 女子単独レースでの世界最高記録
③ 58:18(アブラハム・キプタム, 2018年バレンシアハーフ)

(※2)AIU:IAAFが2017年4月に設立した反ドーピング機関。IAAFからは独立して機能しており、現在多くの陸上選手の血液サンプルを管理している。陸上競技における世界のあらゆるドーピング選手の情報はここから閲覧できる

「我々にはこれまでの経験がある。陸上界には不正やドーピングがあるという事は知っている。しかし、大会主催者として、そのようなことには反対している。悪いことをする選手と我々を混同しないでください。もし、ドーピング陽性の選手が出たら、我々はその選手を拒否する。そして、もしIAAFによる距離計測で1mでも少ない距離が出れば、今日参加してくれた13,800人のランナーひとりひとりに謝罪をし、そのことを恥じるだろう」

ボッテラは自らのレースの評判についてかなりコミットしている。レッツランからバレンシアへ誰か派遣して“実際のコースを見てほしい”というオファーまでくれた。そしてその費用も負担してくれると。彼はこのように締めくくった。

「ようこそバレンシアへ。ランニングを愛し、公正明大を愛する街へ」

見過ごしてはならないもう1つの要素がある。キプタムヴェイパーフライ4%フライニットを履いて優勝したようだ。ニューヨークタイムズ紙の研究によって支持されたスポーツパフォーマンスコミュニティにおいて最近信じられていることであるが、今年ロードで出ている好記録は、このナイキのシューズのおかげであると信じられている。

「彼は何のシューズを履いていたか?」

スポーツ科学者のロス・タッカー氏がレース後Twitterで書いた。

「疑問リストに追加された質問だ。もう1つ、彼はドーピング検査を受けたのか?」

そのシューズにどれほどの価値があるかは正確には知らないが、多くの変化が生じているというデータが出続けている。彼がクリーンかどうかは知ることができないが、キプタムだけがその答えを知っている。我々が知っていること。キプタムが日曜日のバレンシアハーフマラソンで58:18で走った。また、彼のこの世界新記録は、そう遠くない未来に破られるだろう。2018年には5人の選手が58:45を切っている。

そして、バレンシアのおかげで、我々はもう1つの事を知っている。アブラハム・キプタムという名前である。

 

レッツラン記事

http://www.letsrun.com/news/2018/10/new-half-marathon-world-record-holder-abraham-kiptum-run-fast-valencia/

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