【LRCJオリジナルインタビュー記事】2017年NZ選手権1500m王者エリック・スピークマン 〜 NZサブ4マイラー

大学進学

大学進学の前にエリックはニュージーランドで競技を行いつつ、大学に入学する準備を進めていた。大学に進学して陸上競技を行うにあたって、それぞれの大学のトレーニング環境をよく調べなければいけないと考えていたからである。

エリックはまず陸上競技に長けている大学を自分なりに考えて、それらの大学にメールを送ったり、電話で話したりして情報を集めた。また連絡の取れた大学のコーチと話す機会を作り、どのような環境でどのようなトレーニングを行っているかということを直接電話で聞いたり討論したりした。

さらにすでにアメリカの大学で競技を行っていたニュージーランドの選手たちに、練習の状況や適切な種目のトレーニングになっているか、良いトレーニンググループで練習できているか、といったことをよく調べた。

最終的にはニュージーランドから選手が何名か在籍しており、更にニックの練習拠点にしているミシガン大学にも近いニューヨークにある大学を選択する(ミシガン大学とニューヨークは実際に約1000㎞離れているがアメリカの広大な国土の中では隣り合った州である)。

エリックは大学入学までに可能な限りの準備をして、大学生活で順調なキャリア形成を計画したが、最初の1年目は故障に悩まされることになる。最初の1年を早々に失ってしまったが、レースに戻ってきた次の年に自己記録は3分51秒から3分42秒に大きく飛躍する。

次の目標とレースに向かって多くの希望を持っていたが3年目そして4年目も故障をしてしまい、次のレースに戻るまでには2年間の期間を費やすこととなる。そして、エリックが満足のいく競技生活を送れないまま大学生活はほぼ終わりを迎えていた。

2年という長い期間を空けて戻ってきたレースでは、大きな飛躍はなく3分44秒と、エリックにとっては平凡な記録となってしまう。そして、ニュージーランドの故郷ネイピアに戻る選択をする。エリックは当時を振り返ってこのように話す。

「もし大学1年目の故障と翌年のジャンプアップを自分のトレーニング計画でうまくコントロールできていたならば、その後の2年間の空白や3分44秒にとどまるような年はなかったと思う。故障とジャンプアップがあっても(競技レベルに伴った強い負荷・多い練習量を求めるのではなく)常に一定のステップアップを練習計画で取ることが大切だったと思う。競技力の向上とともに、体力面の向上を確実に行っていくバランスが必要であったが、当時は競技力の向上に対し適切な体力強化のトレーニングが行われていなかった」

エリックは故障や失敗で長い期間を失ってしまう。当時や現在でも“後悔”というものはあるのかもしれない。しかしそれ以上にエリックに内在していることは“失敗”を経験としてよく分析して次のステップアップに繋げられること。そして分析力と共に、途切れることのない次のレースに向けての情熱が心の中にあることが、数年の感覚を空けても強い姿でトラックに帰ってくることを体現している。

ニュージーランドでの再びの飛躍

2015年、この年からスティーブ・ウィリス(NZナショナルチーム中長距離コーチ)のコーチングを受けはじめ、エリックは大きなストライド、力強いランニングでニュージーランドのトラックに戻ってくる。そして翌年の2016年。エリックの家族、クラブの仲間、ニュージーランドの中距離のライバル、そして何よりもエリック自身が信じていた自分自身のランニングが再び輝きを見せる。

【動画:ワンガヌイで記録した1マイル3分57秒】※700m〜4番手を走って最後は3着でフィニッシュ

ワンガヌイという場所はニュージーランドの中距離ランナーにとっては特別な場所である。

およそ50年前、※ ピーター・スネルがここで1マイル4分の壁を破ってから、多くのKIWIランナーが1マイルでのサブ4を達成してきた。ここはKIWIランナーの中距離の歴史が刻まれた場所である。そこでエリック自身初のでサブ4を達成できたことはとても感慨深いものがある。

(※)ニュージーランドの伝説的な中距離選手。1960、1964年オリンピックを800mで連覇、1964年東京オリンピックでは1500mとの2冠を達成

この日は、エリックの両親もネイピアから応援に駆け付けていた。エリックは高校卒業後にアメリカに5年ほどいたので、両親にとってはエリックのレースを見る久しぶりの機会となった。エリックのアメリカでの走りは思うように走れていないことが多く、様々な意味で期待のこもったレースであったが、その期待を大きく上回る走りをエリックはみせた。

“1マイル4分の壁” これはすべての中距離ランナーにとっての1つの目標であり、越えるべき壁である。そしてワンガヌイという場所ではすべてのランナー・観衆がピーター・スネルの記憶と共にそのレースを見守っている。

ピーター・スネルという伝説的ランナーではなく、エリックが子供の頃に憧れたニックを先頭にレースに挑めることはエリックにとって何よりも大きなモチベーションとなった。そして学年が上でいつも身近な目標であったハーミッシュ、ジュリアンを追いかけるレース展開である。

そのおよそ4分間はエリックの精神的な部分での環境はすべてが完璧だったといえる。

ニックが4分を丁度切るようなペースで先頭を引っ張り、集団は周回を重ねるごとに少しずつ小さくなる。このレースでは先頭集団に居続ければタイムは必ず出せるという確信は持っていた。エリックの意識は“前についていくこと“その一点に集中していた。多くのニュージーランドのランナーがパワーで走るフォームを持っている。しかしエリックのランニングフォームは羽のように軽く、空中を飛ぶように駆け抜ける。軽く速く進んでいく選手は“上下に跳ねる”動きが見られがちであるが、エリックはほとんど地面と頭が同じ高さを保ちながら一切の無駄なく進んでいく。「リラックスした動きで…」そのことだけをニックがつくるペースの中で意識していた。

ラスト1周の鐘と共にニックがペースを上げる。ハーミッシュも先頭を追いかけペースを上げていく。そしてジュリアンはやや疲れているように見えた。エリックはこの時、タイマーで“60秒以内で回ること“で4分が切れることを確認する。力強く加速するハーミッシュとは対照的に、リラックスしたフォームでエリックは前の2人を追いかける。対照的なランニングフォームであったが、スピードは変わらずゴールへ向けて加速していく。最後の直線でハーミッシュに先着されるが、フィニッシュは4分の壁を2秒以上も上回るものとなった。ニックの3分55秒を先頭にハーミッシュの3分56秒、そしてエリックの3分57秒と続いた。

この時1500mで3分40秒のタイムはクリアできていなかったが、ニュージーランドの伝統的な種目で自分自身の競技歴だけでなくニュージーランドの中距離の歴史に新しい足跡を残したのである。

そしてこの年、3分42秒だった1500mでの自己記録も3分37秒へ大きく更新されることになる。この自己記録もまた、ニック、ハーミッシュ、ジュリアンを追いかけて記録したものだった。

故障によって多くのレースをできなかった選手にとって、“再びレースに出る”ことで心躍るということは、長い休養を要する故障を経験した選手であれば必ず理解できる気持ちである。エリックのランニングは空を駆けるようにみえるが、レースを走る時のエリックの心は本当に空を走っているのかもしれない。

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【LRCJオリジナルインタビュー記事】2017年NZ選手権1500m王者エリック・スピークマン 〜 NZサブ4マイラー」への3件のフィードバック

  1. ピンバック: 【LRCJオリジナルインタビュー記事】リオオリンピック男子1500mニュージーランド代表 – ジュリアン・マシューズ ~NZ1500mランナー・ワールドトラベラー:その1 – LetsRun.com Japan

  2. ピンバック: 【LRCJオリジナルインタビュー記事】リオオリンピック男子1500mニュージーランド代表 – ジュリアン・マシューズ ~NZ1500mランナー・ワールドトラベラー:その2 – LetsRun.com Japan

  3. ピンバック: 【LRCJオリジナルインタビュー記事】アンジェ・ペティ(リオオリンピック、ロンドン世界選手権800mニュージーランド代表) – LetsRun.com Japan

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