2:01:39の記録が持つ意味:ベルリンマラソンでの快挙によってエリウド・キプチョゲが男子マラソンにおいての“世界記録追求の時代”に終止符を打った

ベルリンでの2時間と1分、そして39秒の間に、エリウド・キプチョゲはマラソンというスポーツを変えてしまった。その記録が出た瞬間を見ていたものの、その偉業がどのように成し遂げられたのか明確に表現するのは難しい、言うまでもないが、彼は本当に本当に速かった。ベルリンマラソンが終わってから4日間、世界記録が更新された今と、ベルリンマラソンが始まる前とで、このスポーツがどのように変わったのか、そのことを考えてみた。

私は次のよう表現したい。

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©︎2018 Steffen Hartz  42km地点

もしキプチョゲの2:01:39が1つの時代の終わりを象徴するのであれば、男子マラソンにおいての“世界記録追求の時代が完結した”と。

1981年12月7日から2003年9月27日のこのおよそ22年間の間で、男子マラソンの世界記録はトータルで2分40秒縮められている。そして2003年9月28日から現在、まだ15年も経っていないこの期間で、男子マラソンの世界記録は3分59秒も縮まった。この期間で、2:05、2:04、2:03、2:02の壁が次々と崩されてきたのである。

これらのように男子マラソンにおいて記録が劇的に向上した理由は、推測するに難くない。1980年代や90年代に比べると、世界中のシティマラソンには多額のお金がつぎ込まれている。結果として、長距離ランナーの宝庫である東アフリカの人々がここぞとばかりに走り始め、これまでになく“マラソン”を走るようになった。

2008年、デニス・キメットは家の近所を4マイルほど走る“畜産農家”のケニア人であった。彼が15年早く生まれていたら、キメットは畜産農家として一生を過ごしていただろう。それが、彼はランニング仲間であったジョフリー・ムタイに見出され、その後ムタイはトレーニンググループにキメットを誘った。それから6年のうちに、彼はマラソンの世界記録を出したのである。

マラソンの報酬金が多くなっていくにつれ、隠れていた東アフリカの才能ある選手が多く発掘されるようになった。過去15年の間、男子マラソンの世界記録は東アフリカの選手によって独占されてきた。過去6つの世界記録は全てエチオピアかケニア出身の選手によるもので、その傾向はこれからも続くと思われる。この2つの国以外の出身の選手が出した公認最速記録は※ 2:05:27である。

(※ モロッコのジャウアド・ガリブによる2009年のロンドンマラソンでの記録)

東アフリカの才能ある選手の登場により、男子マラソンの世界記録は定期的に更新されるようになった。2007年以降では6回更新されている。一方、男子トラック競技の記録更新は停滞している。男子1500m、3000m、5000m、3000mSCの世界記録はいずれも2005年から更新されていない。

しかし、東アフリカ勢台頭の中であってもキプチョゲの2:01:39という記録は次元が違う。世界記録が速くなればなるほど、更新される記録は少なくなっていく。サブ2:06からサブ2:05が生まれるまで4年かかった後、サブ2:05からサブ2:04には5年、サブ2:04からサブ2:03には6年かかっている。サブ2:03からサブ2:02にはたった4年しかかかっていない。キプチョゲが前世界記録から78秒も記録を縮めたのは、この50年以上の中では1番大幅な記録更新となった。

シューズはどうだったか?

なぜこれほどまでに記録が縮まったのか?キメットの世界記録以降、2つの重要な進展があった。世界最高のマラソン選手キプチョゲが現れたこと、そしてナイキがヴェイパーフライ4%をリリースしたことである。今のところ、それぞれの進展がどのぐらい価値あるものだったかは正確には表せない。

南アフリカのスポーツ科学者の※ロス・タッカーレース後に指摘したように、今年の7月の記事によれば、ニューヨークタイムズ紙がStravaを使った実験を行った。それによると、ヴェイパーフライ4%は次に速かったシューズよりも1%以上速かったということがわかった。もしこれが本当ならば、今回の男子マラソンの世界記録更新の説明がつくことになる。キプチョゲキメットの前世界記録を1.07%更新したのである。

(※ ロス・タッカーはbreaking2のレース後に“このレースは公認レースなら2:01:40の価値がある”と推測した。マラソンのサブ2論争の中では、やや否定的な立場をとっているスポーツ科学者である)

つまり、キプチョゲキメットは、履いているシューズは違えど同じ才能を持ち合わせていた、と言えるかもしれない。事実、ニューヨークタイムズ紙の研究を見ると、キメットの方が優れた選手だという議論ができるかもしれない。研究によるとヴェイパーフライ4%は、次に速かったシューズよりも1%速いというデータが出たが、ヴェイパーフライ4%はキメットが世界記録を出した際に履いていたアディゼロ・アディオス(アディゼロ・ジャパン)よりも2.5%速い。

キプチョゲキメットは2人ともエリート選手であり、Stravaのデータになるようなファンランナーではない。キプチョゲの上位3つの記録(2018年ベルリンマラソンの2:01:39、2016年ロンドンマラソンの2:03:05、2017年ベルリンマラソンの2:03:32)はヴェイパーフライを履いての記録である(もしくはプロトタイプ版)。

次に速かった2015年ベルリンマラソンの2:04:00は、文字通り“落ちた靴”で走った。シューズは本当のところ、どれ程重要なのだろうか?もしシューズに価値があるのならば、なぜもっとナイキの選手たちはもっと速い記録を出せないのだろうか?

ヴェイパーフライ4%が市場に出たのは2017年以降である(2016年からキプチョゲや他数人の選手はプロトタイプでレースを走っていたが)。あと数年もすればシューズの重要性について結論を出すもっと良い標本が出てくるだろう。

個人的には、キプチョゲはこの世代を代表する才能あるマラソン選手であり、この記録の最大の功績は彼自身にあると考えている。

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©︎2018 Steffen Hartz  フィニッシュ直前

もしこれが事実ならば、キプチョゲの2:01:39という結果は、男子マラソンの記録追求の時代が終わったということを意味する。ここ10年間、ベルリンマラソンの筋書きは男子マラソンのトップ選手が世界記録を更新できるか?という部分に集中していた。ここ最近では、ドバイマラソンがこの科学的実験の場となっていた。※約20人弱のエチオピア人選手を世界記録ペースで走らせて、彼らがそのスピードでどのぐらい保つかという実験的レースである。

(※ ドバイマラソンでは2017年に6人の先頭集団が中間点を61:33で通過、2018年は10人の先頭集団が中間点を61:38で通過した)

ロンドンマラソンでは(潤沢な資金力を背景に)世界記録を追求するため世界から最高の選手たちが集まってくる。2013年のロンドンマラソンでは、8人の選手が世界記録ペースで走ったが、結局は全員がペースを落とし記録更新はできなかった。ツェガエ・ケベデが優勝したが、およそ3分ものポジティブスプリットという結果だった(61:34 / 64:30)。

今年の4月のロンドンマラソンは、9人の選手が、当時の世界記録からほぼ1分も速い前半61:00というとてつもない速さで入り、後半をサブ2:10ペース(65:00未満)で走れたのは優勝したキプチョゲ(61:00 / 63:17)と2位のシュラ・キタタ(61:00 / 63:49)だけだった。

これが全て悪いということではない。前半をこのようなスピードで走ることにより、後半のスピードが落ちてゴールタイムが遅くなる原因にはなっている。しかし、世界屈指の選手たちが世界記録の壁に挑戦し、惜しくも崩れさっていく姿は、不思議にも美しさを感じるのである。ほとんどのマラソンで、世界記録ペースよりも速く入るということは“ゲームオーバー”を意味する:先頭集団が前半飛ばし、その後大きくペースを落とすであろうと予想できるレースは、見ていて興味深いものがある。

しかしそれでも、世界記録の更新は近いと予想されていた。おそらく毎回そのチャンスはあったのである。2:02:57は怪物的な記録ではあったものの、更新可能な記録としてみられていた。キメットが2014年にこの記録で走って以来、4人の選手があと30秒までに迫る記録を出した。世界最高の選手たちが高速コースを走れば、世界記録は常に手に届く場所にあった。

しかし、今やキプチョゲが出した世界記録は、もはや別次元の域に入り、そこに到達できる望みは誰にも残されていない。キプチョゲの世界記録は、イーブンペースでハーフ60:49ペースである。マラソンにおいて、前半を61:00より速い通過記録で走った選手は誰もいない。ベルリンのキプチョゲを除いて、マラソンの後半を61:00より速く走った選手も、誰もいないのである。

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©︎2018 Sushiman Photography  40.5km地点

違った言い方をすれば、キプチョゲの今回の平均ペースは、マラソンの前後半でいまだかつて誰も走ったことのない速さであるのだ。

つまり、当分はキプチョゲ以外でこの世界記録に近づけるものはいないということになる。今後キプチョゲが走る度に、これからも世界記録の話が出ることだろう。しかし、それはこれまでとは違う。1つに、キプチョゲは今や世界記録保持者である。彼が世界記録を“再び”破れるかというのは、彼が初めて世界記録を破ることよりかは、エキサイティングではない。

もう1つに、2:01:39という記録はキプチョゲにとってでさえも途方もない記録である。キプチョゲの過去10回のマラソンで、彼は2:03:05より速い記録で走ったことはなかったのだから。キプチョゲが自身が出した世界記録よりも速い記録で走ろうとするならば、現在の調子を維持、もしくは向上させ、ほぼ完璧に近いレースコンディションが必要となるだろう。キプチョゲが1年に2回しかマラソンを走らないことを考えると、キプチョゲの選手生命が衰える前にそれら全てが揃う可能性はほぼ無いに等しいであろう。

キプチョゲの次なる目標は?

キプチョゲが2つ目のオリンピック金メダルを目指しているのは確実だと思うが、東京オリンピックまであと23ヶ月もある。その間キプチョゲは何をすべきなのか。これまで走ったことのない大会を走る可能性もある。ボストンマラソンやニューヨークシティマラソンなどである。しかし、そこで優勝したとしても、何かが変わるわけではない。キプチョゲほど偉大な選手の次なる目標は、2:00:00。

マラソンというスポーツの域を越える次なる壁。しかし、著しい科学技術の発展がなければ、IAAF公認のマラソンでキプチョゲが2:00:00を切ることはないであろう。

キプチョゲが今回自己記録を86秒更新し2:01:39を出したが、(公認大会で)そこからあと100秒も更新するというのは不可能だと思われる。さらにイーブンペースで走ったり、もっと良いペーサーがついたりしていれば、今回のベルリンでの記録よりももっと良い記録が出た可能性はあるが、それでも2:00:00に近くなっていた、ということはないであろう。

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©︎2018 Sushiman Photography  5.5km地点

もっと良いペーサーを見つけるのは至難の業である。キプチョゲの30km通過の1:26:45は、公認の30kmの世界記録でもある。2011年にさかのぼるが、ボストンマラソンを2:03:06で走ったモーゼス・モソップが、世界記録更新を目標に30000mのトラックでの記録会(2011年アメリカ・ユージン)にて1:26:47の30000m世界最高記録で走っているが、30kmをこの記録で走れる選手を現在、キプチョゲ以外に見つけ出すことは、困難を極めるだろう。

もし、2019年にナイキが“Breaking2:第2弾”(Breaking22…??)の契約をキプチョゲと交わしたとしても、驚くことはない。これに挑戦するキプチョゲを誰が責めることができるだろうか?2019年の春にロンドンに戻ってロンドンマラソン4勝目を目指して今まで負かしてきた選手に改めて勝利をするか。それとも1:59で走る最初の人類になるか。キプチョゲにとって魅力があるのは果たしてどちらの選択だろうか?

キプチョゲの2:01:39の世界記録は、ポーラ・ラドクリフの女子マラソンの世界記録の2:15:25と同様に、今後長い間破られることのない記録である。ラドクリフの記録は過去10年間、誰も到達できない記録として認識されている。誰も、その記録を更新できる可能性について話すことさえしない。

ラドクリフが世界記録を出してから15年後の2018年、メアリー・ケイタニーがロンドンマラソンで世界記録更新に挑戦したときぐらいから、状況は変わり始めてはいる(惜しくもその挑戦は失敗したが)。キプチョゲの世界記録に挑戦する誰かが現れるまで、同じぐらいの年月がかかるのではないかと思っている。

それは概ね良いことである。ボストンやニューヨークで世界記録を狙う選手は誰もいないだろう(ボストンマラソンは非公認大会のため世界記録は出せない)。しかし、それでもそこで起こるドラマや、大会記録を狙ったり、ライバル選手同士の争いなどの数々のドラマを目撃するために、我々はそれらの大会を見るだろう。ドラマは必ずどこにでもある。選手が世界記録更新に向けて走らなくなっても、ベルリン、ドバイ、ロンドンでは多くのドラマを見ることができるであろう。

私の考えが間違っている可能性もあると思っている。キプチョゲの2:01:39という記録により、マラソンにおいての人間の可能性というものに世界が開眼した。2:00:25で走ったキプチョゲが、2:01:39を達成可能な記録だと認識したように。おそらくマラソン選手は前半を61:00で走るようになり、そのペースを維持できる選手が今後出てくる可能性もある。ナイキのシューズが本当に魔法のシューズかもしれないし、マラソンの記録を削ることができる革新的な何かをもった人が今後現れるかもしれない。

でも、私は(しばらくの間は)そうはならないと思う。ラドクリフのように、キプチョゲの才能は比べようもないほど優れている。2018年ベルリンマラソンは彼の最高傑作の走りであり、ベストコンディションを味方につければ彼が成し遂げられることをその走りと記録で世界中に証明した。

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©︎2018 Sushiman Photography 

我々は今2:01:39の世界に生きている。男子マラソンの“世界記録追求の時代”は終わったのである。

 

レッツラン記事

http://www.letsrun.com/news/2018/09/meaning-20139-berlin-masterpiece-eliud-kipchoge-brought-era-world-record-chases-close/

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