全米代表の“サムエル・チェランガ”はなぜ33歳で現役引退して米軍へ入隊したのか?

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2018年ロンドンマラソン

サムエル・チェランガは、ケニアのグレートリフトバレー(大地溝帯)の北側に位置するバリンゴ郡のカバーセルという村で育った。チェランガの家族は農場を営み、動物を飼育していたためポール・テルガトがよくチェランガの家に立ち寄ったそうだ。長距離の強豪国として知られるケニアにおいて※ テルガトは最高の選手の1人である。オリンピックで2度銀メダルを獲得し、世界クロスカントリー選手権で5回優勝、そしてマラソンの元世界記録保持者である。

(※ 古くはキプチョゲ・ケイノヘンリー・ロノらがケニアの長距離界に功績をもたらしたが、近代ではテルガトがケニア長距離界の父と呼ばれている)

テルガトは当時、チェランガの兄のジョシュア(マラソン自己記録2:07)のトレーニングパートナーであり、チェランガを弟のように可愛がっていたという。テルガトはよく、※ 1000シリングのお小遣いをやり、そのかわりにチェランガテルガトのトヨタのランドクルーザーに乗ってトレーニンググループのランナーたちを運んで、トレーニング中の給水を手伝った。

(※ 実際は約1000円であるが、ケニアの貧しい生活水準でいえば10000円の感覚)

テルガトは他の誰にも自分の車を運転させなかった。でも、サム、僕のトラックを運転してくれ、と言ってきたんだ」

と、チェランガは話した。

テルガトはたまに、チェランガに将来何になりたいか聞いたという。チェランガの答えはいつも一緒だった。弁護士だ。チェランガが住んでいた村は貧しく、安全な飲み水や医療も十分ではなかった。チェランガは、法律の学位をとれば、社会に大きく貢献できると考えていた。

しかし、法律の学位をとるには大学に行かなければならない。そして、大学進学にはお金がかかる。テルガトは、大学に行くには他の道もあると、チェランガに教えた。それは“走ること”だった。

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全米学生クロスカントリー選手権でゲーレン・ラップと競り合うチェランガ

こうしてチェランガはしぶしぶと走り始め、アメリカへの留学プログラムに選抜され奨学生として、バージニア州のリバティ大学に留学することに成功した。そこでの華々しい成績(男子10000m全米大学記録樹立など)はもちろんのこと、大学卒業後はナイキのプロ選手として、オレゴン州のユージン、ニューハンプシャー州のハノーバー、アリゾナ州のツーソン、コロラド州のコロラドスプリングと拠点を変え、大学時代から合計13年もの間活躍し続けた。

7月上旬にアトランタで行われたピーチツリーロードレースでの全米10kmロード選手権に出場して4位に入った後、現在33歳のチェランガは、米軍入隊のためにプロ選手としての現役引退を発表した。7月29日、彼は基礎訓練のためにサウスカロライナ州のフォートジャクソンを訪れる予定である。基礎訓練を終えた後は、10月15日からフォートベニングの幹部候補生学校に入る。チェランガは軍事諜報を先攻したいと考えている。

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しぶしぶ始めたランニングも“次第に好きになっていった”とチェランガは話したが、それでも“メダルや勝利が彼のモチベーションになることはなかった”という。リバティ大学での4回の全米学生タイトル獲得、プロ選手としてロードレースで全米タイトルを5回獲得し、多くのものがチェランガに巡ってきた。大学で学位を取得し、故郷のケニアに住む家族を助け、全米代表にもなり、妻のメアリーベスと2人の息子、5歳のマイカと1歳のノアを支えてきた。

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2015年にチェランガがアメリカ市民権を取得した際の1枚。妻のメアリーベスと息子のマイカと

しかし、チェランガが毎晩夢見るのはオリンピックで金メダルをとることではなかった。メアリーベスと付き合い始めたころ、チェランガはランニングのことは何も話さなかったという。走っていて1番誇りに思った瞬間はいつだったか?と彼に聞いた時、答えはレースではなかった。学位を取得して大学を卒業した時だという。

「なぜなら、それが走り始めた理由だったからだ」

チェランガの引退発表にはいくつかの疑問が湧く。1番疑問に思うのは、なぜ今なのか?ということだろう。チェランガは、コロラド州のコロラドスプリングで2016年以来、名コーチのスコット・シモンズ率いるアメリカンディスタンスプロジェクト(ADP)の選手たちと共にトレーニングを積んできた。

2017年の世界クロスカントリー選手権では11位に入り、アメリカ人トップでフィニッシュしている。今年に入ってからは、1月のヒューストンハーフマラソンで60:37の自己新記録を出し、3月の世界ハーフマラソン選手権では14位(アメリカ人トップ)、5月の全米25kmロード選手権では優勝した。彼にはまだまだ走力が残っているのである。

チェランガは今、米軍に入隊するほうを選んだのだ。そちらの選択の方が彼にとって大切だと感じたからだ。

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「陸上競技でやりたいことは全てやってきた」

チェランガの5000mの自己記録は13:04、10000mの自己記録は※ 27:08.39の記録を持っている。

(※ 現在も全米学生記録として残る。クリス・ソリンスキーが26:59、ゲーレン・ラップが27:10で走ったペイトンジョーダン招待での記録)

「陸上競技を始めた時に望んでいた以上のものを手に入れることができた。歳を取るまで待ちたくないんだ。まだ自分は若いし、フレッシュでエネルギーもたくさんある。今ここでこの米軍に従事することで自分の能力を最大に発揮するつもりだ」

もう1つ、事実を述べるとチェランガは2017年でナイキとのプロ契約が終了しているため、どこのスポーツメーカーともプロ契約をしていない(ナイキは契約更新を打診したが、チェランガがそれを断った)。

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若かりし頃にケニア空軍に入隊することを考えていたチェランガは、常に制服を着た軍隊の男に憧れてきた。彼は軍に従事することを望み、その望みはプロの陸上選手では叶えられる夢ではなかった。

「朝起きた時に心が満たされることをやりたい。だから、陸上競技から離れることにした」

チェランガの米軍入隊への道のりは、コロラドスプリングのADPのチームメイトと比べると違うものである。

シャドラック・キプチルチルレオナルド・コリルポール・チェリモなど、リオオリンピックで全米代表となった選手たちは、アメリカ市民権を(通常のプロセスよりも早期に)取得する手段として※米軍に入隊した。そして現在、全米代表として陸上選手としてのキャリアを続けている。

(※ もちろん彼らはトレーニングをしながら、軍事演習や訓練など米軍に従事している)

しかし、チェランガはアメリカに帰化するために(通常のプロセスで)5年間待ち、アメリカ市民権を取得した2015年から3年後の現在に、米軍への入隊を決意したのだ。チェランガがリバティ大学に所属していたころ、※ 元WCAPコーチのダン・ブラウンが、チェランガを米軍に勧誘しようとしたらしいが、チェランガによると、米軍の採用担当者から“入隊するにはアメリカ市民権かグリーンカードが必要だ”と、言われたそうだ(実際はそんなことはない)。

(※ Army’s World Class Athlete Program = WCAP、アメリカ軍アスリート養成プログラム)

チェリモや他の選手がアメリカ市民権を早期に取得できたきっかけとなった※ MAVNI プログラムは2008年に設立された。しかし、チェランガは米軍への入隊ではなく、2011年にナイキとプロ契約を結んだ。

(※ Military Accessions Vital to National Interest = MAVNI、米軍での厳しい軍事訓練をクリアし、米軍に従事する者にアメリカ市民権を与えるプログラム。初年度の2008年は1,000人の枠が募集された)

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チェランガは、故郷のケニアの村のカバーセルを忘れたことはなかった。ナイキのプロ選手としてアメリカで活躍している間、ケニアで安全で綺麗な飲み水が飲めるよう、故郷の村に浄水器を送った。最近では、チェランガの父親が亡くなった時と同じ病院で、近所の人が亡くなったと聞いて、いつかその病院の設備をもっとよくしたいと願っているという。

「その病院に関しては、ずっと力になりたいと思ってきた。故郷にある唯一の病院なのに、設備がきちんと整っていないんだ」

しかし、チェランガには他に優先しなければならないことがある。彼には家族がある。彼に多くのものを与えてくれたアメリカという国に恩返しをしなければならないと信じている。

「故郷のケニアを救いたいという思いで走り始めた。でも今は、2人の子どもがいて彼らはアメリカで育っていく。ここが彼らのコミュニティで、私の新しいコミュニティでもある。米軍に入って、アメリカの若者たちの未来を導いていくこと、それは本当に名誉なことだ。陸上競技がこれまで教えてくれたことや、陸上競技で達成できることを過小評価しているわけではない。ただ、米軍に従事することが自分の今の本心で、本当に求めていることなのだ」

 

サムエル・チェランガ(IAAF選手名鑑

ケニアから奨学生としてバージニア州のリバティ大学に留学し、全米学生クロスカントリー選手権個人2連覇、全米学生選手権(屋外)の5000mと10000mを制覇し全米学生王者に4度輝く。ナイキのプロ選手としてロードレースで全米タイトルを5回獲得。

  • 1985年:ケニア・バリンゴ郡カバーセル村で11人兄弟の10人目として誕生
  • 2007年9月:アメリカ・バージニア州のリバティ大学に奨学生として留学
  • 2010年5月:男子10000mで全米学生記録(27:08.39)を樹立
  • 2015年:アメリカ市民権取得
  • 2017年3月:世界クロスカントリー選手権に全米代表として出場しアメリカ人トップの11位
  • 2017年5月:ナイキBreaking2のペーサーを務める
  • 2018年3月:世界ハーフマラソン選手権に全米代表として出場しアメリカ人トップの14位
  • 2018年7月:現役引退を発表

【自己記録】

  • 1500m:3:46.72(2012年)
  • 5000m:13:04.35(2014年)
  • 10000m:27:08.39(2010年 全米学生記録)
  • ハーフマラソン:1:00:37(2018年 全米歴代6位)
  • マラソン:2:15:02(2017年)

 

レッツラン記事

http://www.letsrun.com/news/2018/07/sam-chelanga-retired-running-age-33-enlist-u-s-army/

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