川内優輝 31年ぶりの日本人選手のボストンマラソン優勝:厳しい気象条件で放った4度の下り坂でのスパート “マラソンは何が起こるかわからない”

122回ボストンマラソンの男子レースにおいて、川内優輝が日本人選手としては1987年の瀬古利彦以来となるボストンマラソン優勝を果たした。

(※以下、レッツランジャパンオリジナル記事)

【ボストンマラソン:レース動画】男子レースは27:45〜

下り坂で魅せた4度のスパート

【男子レース:川内のレース中の動き】

スタート:最初の200m、川内は冷静に集団で走る。その後、300mぐらいから下り坂を利用してスタートダッシュを開始(動画29:00〜)。1kmを単独の先頭で2:41で通過。後ろの集団は2:49~50で通過。最初の1マイル(向かい風の下り坂)を4:37(2:53/km)で通過。

5km:川内は単独の先頭で15:01(動画43:00〜)で通過。その後チェベトに追いつかれしばらく2人で並走。

8km手前:チェベト川内が、トラ、ベルハヌ、キルイ、ラップの集団に追いつかれる。

10km手前:トラがペースを上げて、川内はここで8人の先頭集団から離れてしまう。

10km:先頭から少し離れた川内は30:21(15:20)で10kmを通過。先頭集団とは6秒差。

11km手前:向かい風が強くトラキルイが自重し、先頭集団のペースが下がり始める。その後、後続の選手が先頭集団に追いつく。

12km過ぎ:川内が先頭集団に追いつき、16人前後の先頭集団となる。その後、カンディーが3:15/km前後のペースで先頭に立つ。少し離れて大集団。カンディーがしばらく先頭を引っ張る。川内は集団の真ん中あたりでリズム作りながら様子をうかがう。

15km:川内を含む大集団のまま46:25(16:10)で15kmを通過。その後も雨風が強く、カンディーがそのまま3:15/km前後のペースで引っ張り続ける。

18km:大集団のままカンディーが自重し、キルイが先頭にたち、川内はその真後ろをキープ。その後カンディーが再び少しだけペースを上げると、それに川内がぴったりと背後をマークし着いていく。

19km:19kmを過ぎた所の下り坂で、カンディー川内が少しだけ先頭集団よりも前に出たタイミングで、カンディー川内に“合図”(動画1:23:09〜)を出し、その後川内が後ろとの少しの差を確認してからペースをどんどんと上げていき単独の先頭に。2回目の下り坂でのスパートで後続との差を広げていく。しかし、後続集団もそこからペースを上げて、川内は19.6km付近で集団に追いつかれてしまう。

20km:川内を含む先頭集団は1:02:29(16:04)で20kmを通過、1:05:59で中間点を通過。

23km手前:カンディーが再び少しずつペースを上げる。川内を含むその他の選手はカンディーにはつかず。

24km手前:川内が集団から抜け出して、単独で先頭を入るカンディーに追いつこうとしてペースを上げる。それにつれてキルイも上がってきて、24km過ぎにはキルイを先頭にして川内はその後ろにぴったりとついて、2人が少しだけ先頭集団から抜け出す。

25km:しかし後続も次第に追いつき、キルイを先頭に川内を含む先頭集団は1:19:04(16:35)で25kmを通過。ここからボストンマラソンで最も下り傾斜の大きい下り坂で川内がペースを上げて単独の先頭に。3回目の下り坂でのスパート(動画1:43:40〜)で、この1kmで後続の集団に4秒差をつける。この後、ラップが集団から離れていく。

27km手前:川内がペースを上げたことで、後ろのキルイがペースを上げ川内に追いつき、そのときに、この集団にいた選手が「ラップが集団から離れたと」ということキルイにささやいた。そこから腹を括ったキルイがニュートンヒルズの上り坂でスパートをかけ、単独の先頭に立つ。

先頭のペースが上がっているうちにチェベト、カンディーらがずるずると集団から離れていく。ここから先頭のキルイの独走(動画1:51:20〜)が始まる。それにともなって、キルイから少し離れた集団がばらけはじめて縦長の展開になる。

28km過ぎ:独走するキルイから少し離れてネゲイ、デシサ、川内、ビウォット、ロノの5人の集団を途中川内が引っ張る。

30km:先頭を独走しているキルイは1:34:58(15:56)で30kmを通過し後続に28秒の差をつける。ビウォット、ネゲイとの2位争いをしている川内は30kmを1:35:26(16:22)で通過する。

35km:キルイは独走を続け、1:50:49(15:51)で35kmを通過し、“心臓破りの丘”の上りを含むこの5kmを、強い向かい風と雨の中“15:51”というスプリットで走り、この時点で2位に1:21差をつける。2位争いは川内ビウォットの2人に絞られ、川内はこの時点で”表彰台は確定”という気持ちで走っていた。4回目のスパートをやはり“下り坂”でかけて、さらにビウォットを振り切り1:52:20(16:54)で35kmを通過。

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40km:35kmあたりの下りでペースを上げる川内とは対照的に、それまでの上りで快調に走っていたキルイが下りでペースを落とし、キルイはなんとか先頭で2:08:22(17:33)で40kmを通過。川内は2:08:42(16:22)で40kmを通過(動画2:31:50〜)し、この地点でキルイとの差をで20秒差にまで詰める。

この時点でキルイは先にスタートしている女子に追いついており、フラナガン、キプラガトとともにジョギングのようなペースで走るのに対して、後方から来る川内のみが素晴らしいペースで40km以降を走り、その後ついに先頭に立った。

川内キルイを抜いた時は、川内は先頭を走っているとはわからなかったそうであるが、優勝のテープを切ったときは“優勝者はゴールのときに右側に案内される”ことを知っていたので、自らの優勝を確認し、喜びをあらわにした。

【男子総合結果】

1. 2:15:58 川内優輝(日本)
2. 2:18:23 ジョフリー・キルイ(ケニア)
3. 2:18:35 シャドラック・ビウォット(アメリカ)
4. 2:18:57 テイラー・ペネル(アメリカ)
5. 2:19:52 アンドリュー・バンバロー(アメリカ)
6. 2:21:47 スコット・スミス(アメリカ)
7. 2:23:16 アブディ・ネゲイ(オランダ)
8. 2:23:37 エルカナ・キベット(アメリカ)
9. 2:25:02 リード・クールセット(カナダ)
10.2:27:50 ダニエル・ヴァサッロ(アメリカ)

【川内優輝のスプリット】

  •   5km:15:01
  • 10km:30:21(15:20)
  • 15km:46:25(16:04)
  • 20km:1:02:29(16:04)
  • 中間点:1:05:59
  • 25km:1:19:04(16:35)
  • 30km:1:35:26(16:21)
  • 35km:1:52:20(16:54)
  • 40km:2:08:42(16:22)
  • ゴール:2:15:58 (7:16)
  • 前半65:59 – 後半69:59

最初の10kmは雨と強い向かい風を考えるとハイペースであるが、中盤以降に途中棄権者が続出し、ペースを大幅に落とすものが大半だったのにも関わらず、川内は5km16分台の安定したスプリットを刻んだ。

30〜35kmにはボストンマラソンでは御馴染みの“心臓破りの丘”の上り坂を含んでいるのでペースが少しだけ落ちた。スタートから300m地点、19km付近、25km付近、35km付近と4回の下り坂でのスパートをかけての見事なスプリットであった。

川内WMM初制覇:なぜ川内優輝が優勝できたのか?

①気象条件が非常に悪かった

男子のスタート時の気象条件は約4℃、雨と風はスタート時は強くなかったものの、レースが進むにつれて雨風ともに強くなった。風も強く、体も濡れて冷えてしまいやすいことからも体感温度は0℃を下回るマイナスだったと思われる。4月とは思えないこれほどの悪条件で、多くの市民ランナーは参加する都市型マラソンのレースを決行したこと自体がすごいが(そもそも中止や延期になってもおかしくない)、それでもスタートラインに立ったすべての選手に拍手を送りたい。

黄色でマークされている選手が途中棄権してしまった選手

今大会では、招待選手は男女合わせて37名出場したが、そのうちの62%にあたる23名が途中棄権となり、男子の招待選手は3人に2人(66%)が途中棄権となった。男子では16年間連続で優勝し続けてきたアフリカ勢の選手であったが、今大会では男子のアフリカ勢9人中7人(78%)が途中棄権となった。

②寒いコンディションに得意意識がある

川内優輝は、レース後のインタビューで、“今日の最悪のコンディションはどうでしたか?”と聞かれ、

「私にとっては最高のコンディションでした!」

と、答えた。さらに、その後の記者会見では、

「もし、今日のような厳しいコンディションでなければ、今日この場(優勝者としての記者会見)にはいなかったと思うので、厳しいコンディションであったからこそ優勝できました」

と、述べた。川内が寒さに対してここまでの自信を持っているのには理由がある。

今年の元旦に、ボストンマラソンが行われるマサチューセッツ州で行われたマーシュフィールドニューイヤーマラソンで2:18:59で走り優勝した。このレースは−13 〜 −17℃という非常に厳しいコンディションで行われ、フルマラソンには3人だけが出場し、川内を含めた2人だけが完走した。川内はここで極限の極寒のなかでサブ2:20を達成し、寒さに対する耐性を確認した。

川内は3月中旬の水曜日の祝日に、川内と同じく埼玉県に拠点を置くGMOアスリーツの選手との合同練習を雪の中行った。通常、雪が降っていれば練習をせずに休養に充てる、室内トレーニングに切り替える、室内のトレッドミルの上や室内練習場で走るということが一般的であるが、川内は雪に対する苦手意識がなく、問題なく練習をこなした。

なお、この3日前に川内は、台湾でのワンジンシマラソンを暑いコンディションのなか優勝したが、レース後に倒れて医務室に運ばれている。本人が言うように、川内優輝“暑さには弱いかもしれないが、寒さには強い”

③ボストンはペーサーがいない“選手権スタイル”のレース

マラソンなどのロードレースだけでなく、トラックレースにおいてもペーサーは存在し、ペーサーとはおもに記録をアシストしてくれる心強い存在である。その反面、ペーサーがいるレースではそれがたとえマラソンであったとしても、序盤からレースが予想だにしないペースの上げ下げによって乱されることは、ほとんどない。

1954年、今から64年前に人類で初めて1マイル競走で4:00の壁を破ったロジャー・バニスターがイフリーロードの土トラックで3:59.4で走ったときにもペーサーというアシスト役は存在し、クリス・チャタウェイクリス・ブレッシャーというチームメイトによって初の“Breaking4”が達成された。

近代のマラソンにおいても、ポール・テルガトが世界記録を更新した2003年のベルリンマラソンあたりからペーサーの存在がメジャー化し、ベルリンマラソンやロンドンマラソンでは世界記録の更新を視野に入れた高速レースが展開されるようになった。

そのような高速レースとは対照的に、世界選手権やオリンピック、アジア大会、欧州選手権等の各地域の選手権だけでなく、メジャーマラソン大会ではボストンマラソンやニューヨークシティマラソン、最近ではシカゴマラソンもペーサーを起用していない。

ロンドンマラソンやベルリンマラソンでは東アフリカ勢の上位独占が男女ともに未だに崩れないが、昨年のボストンマラソンから、ゲーレン・ラップ、大迫傑、ジョーダン・ハセイが東アフリカ勢の独占を崩し、ロンドン世界選手権、シカゴマラソンと非アフリカ勢の活躍が目立った。

“選手権スタイル”のマラソンは各々が考えるスパートのタイミングが違い、揺さぶりやペースの上げ下げが多い。今回のボストンではその揺さぶりによって川内が主導権を握る場面もあり、自分の感覚で自分のレースをできたことが大きい。

④4回の“下り坂”でのスパート

箱根駅伝の1区の六郷橋の下りでのスパート合戦は毎年の見物であるように、下り坂はスピードに乗りやすく、スパートをかけやすいポイントである。しかし、それはレース終盤の話であり、マラソンでは序盤から上り坂での適正はあるにしろ、下り坂でいきなり揺さぶりをかける例は極めて少ない。

そもそも、現在の日本のメジャーなマラソンで、ボストンマラソンのような起伏に富んだコースは、ほとんどない。そして、あった頃もあるが、なくなってしまう傾向にある。35kmの上り坂で有名な東京国際マラソンならびに東京国際女子マラソンはなくなってしまい、さいたま国際マラソンや、東京マラソンでさえも、後半のアップダウンがあることが理由の一つで、その後フラットなコースに変更されている。

(※さいたま国際は2018年12月からコース変更)

川内は、今までの合宿や集中練習でもアップダウンのある所を走ったり、長時間のトレイルランを行っている。それに日本中の、世界中のアップダウンのあるコースでマラソンを多く走っており、メジャー大会ではニューヨークシティマラソンでのアップダウンの経験している。

川内は下りに強く、学習院大2年と4年時に箱根駅伝を走っているが、そのどちらもが山下りの6区での出場だった。2年時は区間6位、4年時は区間3位と健闘しており、学生時代から下りが得意であった。

今回の4回のスパートは、“1回目がハイペースに持ち込んで集団を早めにふるいにかけたかった”、それ以降のスパートは“自分の感覚で走った”、とレース後の記者会見で川内は話した。1回目のスパートでいきなりハイペースに持ち込むことに成功し、3回目では優勝候補のゲーレン・ラップを振り切った。ここで、集団が本格的にばらけ、キルイの“結果的”に早かったスパートを促した。

そして川内は4回目のスパートでビウォットを振り切り、その勢いでキルイを飲み込んでしまった。ただでさえ、悪いコンディションであったが、川内による3度のスパートで先頭集団はさらに消耗させられてしまった。そしてアップダウンの多いコースであったことでじわじわとダメージが蓄積し、上に述べたように男子の招待選手は3人に2人(66%)が途中棄権となり、悪天候と川内優輝にノックアウトされた。

記者会見での川内優輝のコメント

Q. 今大会の悪いコンディションでのレースはどうたったか?

A. 私は寒いコンディションがすごく得意で、1月のマーシュフィールドマラソン(-13~17℃)でも、あの時は寒すぎましたけど…、そういった環境の中でも走れたので、今日はすごくチャンスがあると思っていました。

もし、今日のような厳しいコンディションでなければ、今日この場(優勝者としての記者会見)にはいなかったと思うので、厳しいコンディションであったからこそ優勝できました

 

Q. レースが始まってすぐのスタートダッシュは作戦だったのか?

A. 今日は寒かったのでスローペースになってしまうと、誰が勝つとわからなくなると嫌だったので、早い段階で集団を絞りたいと思っていて最初飛び出しました。

 

Q. あなたは多くの市民ランナーと同じようにフルタイムで働いているがどんな仕事をしているのか。そのなかでなぜ走るのか?

A. 仕事は高校で事務職の仕事をやっています。(その例として)今年、その高校が創立100周年の式典の準備で記念誌を作ったりといういうような仕事をやっています。

私がレースが大好きということで、私が走っている意味というのは“世界中の色んなレースを走りたい”というのが1つ目で、もう1つは、1人だと練習時にレースペースで追い込むことが難しいので、“レースを使ってしっかりと40kmを走る”、その2つが私が走る主な理由です。

 

Q. 1987年以来の日本人のボストンマラソンの優勝、2001年以来のアジア人のボストンマラソン優勝。表彰のときに日本の国旗が上がったのを見てどう思ったか?

A. 日本人(瀬古利彦さん)が最後に優勝した1987年というのは自分が生まれた年なので、そういった意味ですごく運命を感じています。アジア人としても久々の優勝ということで、最近のアジア人選手が中東の選手(バーレーンなどの帰化選手)を除いて、あまり元気がないと言われている中で、こうした結果が残せたことはすごく嬉しいです。

日本の国旗は、仁川アジア大会で3位になったときの表彰台などのときにも見てきているのですが、そのときは優勝ではなかったので、今回は優勝してトップで“国歌も流れて国旗が上がる”という場面を見れたことは本当に感激しました。もともと2011年の大邱世界選手権のときにマラソンの団体銀メダルを獲ったときに日本の国旗が上がるのを見て、素晴らしい国旗だな、と感じたその時のことを思い出しました。

 

Q. スタートからスタートダッシュを決めて、追いつかれて、またスパートをして、追いつかれて、それは作戦だったのか?

A. スタートを飛びしたのは、いくつかのレースプランのうちの1つとして考えていて、それを実際に行いましたが、途中以降のペースアップは自分の感覚で、“今日は自分のベストコンディション(悪天候)だから絶対に強気でいれば絶対に結果はついてくる”、それだけを信じて、とにかく積極的に強気にいきました。

 

Q. 25kmの下り坂でスパートをして差を広げ、そこからキルイが追いつきその後キルイがスパート。その後ろの2位集団で走りながら、どのようにして最後の勝負を制したのか?

A. ※27kmあたりで“ラップが集団から離れた”という話をおそらくケニアの選手がキルイ選手にしていて、その後に突然キルイ選手がスパートをかけたので、それを追いかけることはできなかったんですが、キルイ選手に声を掛けた選手と集団で走っているうちに、“このリズムならなんとかいけるな”と思って、途中から前に出たら1人脱落したので、このままおしていけば“必ず表彰台にあがれる”と思って走っていたら、キルイ選手が前に見えてきた、という状況でした。

(※本人は“25km”と話したが、25kmのときにはラップはまだ集団に残っており、川内が先に仕掛けた。実際にキルイがその話を聞いて、スパートをかけたのは27km前後)

 

Q. ボストンマラソン優勝。今、何を思いますか?

A. 今日は誰一人、私が優勝すると思っていた人はいないと思うので、“マラソンは何が起こるかわからない”ということを証明できたレースだと思います。

 

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