ジョフリー・カムウォロルは、有り得ないことを達成してきた男である。2年前のカーディフでの世界ハーフマラソン選手権で、カムウォロルはスタートと同時に転倒した。立ち上がるまでに7秒もかかってしまった。他の選手であれば、この時点でレースは終わっていただろう。
カムウォロルは、オリンピック金メダリストのモー・ファラー、ハーフマラソン58:42(2018年2月)の記録を持つビダン・カロキらに序盤から先攻を許した。しかも、その先頭集団に追いつくためには、エリートランナーの後ろでスタートした大勢の一般のランナーを追い抜いていく必要があった。
(※世界ハーフは一般のレースとセットにして行うことが多くある)
しかし、90秒も経たないうちにカムウォロルは先頭集団に追いついたのだ。一般ランナーの間を4:00/マイル(2:30/km)のペースで駆け抜けてきたのだ。結果、カムウォロルは2位と26秒差をつけて59:10で優勝を果たした。南ウェールズの湿った、そして強風の中、スタート時の転倒で両ひざはまだ出血した状態での、素晴らしいゴールだった。
他のエリートランナーであれば、これは人生に一回しか起こらないぐらいのベストパフォーマンスになったであろう。しかし、25歳のカムウォロルにとっては、これは彼の偉業の中のたった一つにしかすぎないのである。
今年の3月24日バレンシアで開催された、2018年世界ハーフマラソン選手権で、カムウォロルは長距離界の歴史においても素晴らしいラップタイムを刻んだ。15〜20kmの5kmを13:01という素晴らしいタイムで走り抜け、60:02で3連覇を果たした。
その区間がほんのすこしのなだらかな下り坂で、かつ追い風の恩恵を受けていたのは事実であるが、それでも並みいる強豪をねじ伏せての勝利だった。この5km、彼は4:11/マイル(2:37/km)ペースで走っていたが、足はまだ動いていたので(ラスト1.1kmの彼のペースを見ると、ゴールに向けてラストスパートをかけているので、平均速度はさらに上がっている)、世界歴代3位の記録を持つバーレーンのアブラハム・チェロベンに20秒の差をつけて圧勝したのも、なんら驚くことではないだろう。
5kmが13:01というのは驚くほど速い。アメリカのポール・チェリモは5000mの世界屈指のランナーであり、2016年リオオリンピックと2017年ロンドン世界選手権でメダリストであるが、彼の自己記録(スパイクを履いて、かつトラックで)が13:03なのだ。
しかし、ジョフリー・カムウォロルは、ハーフマラソンの間の5kmを13:01で走るという他の人にはできないことを成し遂げたが、彼にとっては大したことではなかったようだ。
「自分にとっては驚きでもなんでもなかったよ」
水曜日の彼との電話インタビューの中で、彼はそう語ってくれた。
「だって、自分にできることだったからね」
彼は、物事を客観的に捉えている。そして、カムウォロルと過ごした者は誰も感じる彼の特性、それは“自信”表れでもあった。
今後、ハーフマラソンの世界記録を出せるかどうか、彼に尋ねてみた。
「できると信じている。ハーフの世界記録の更新は計画していることだ。僕にとって、それは可能なことだ、絶対に」
マラソンの世界記録はどうかと尋ねると、
「もちろん。マラソン世界記録も更新したいと思っている」
カムウォロルは、できると信じていることを、恐れずにはっきりと明言する。そこに虚勢や傲慢さは全くない。彼はただ、自分を信じているだけなのだ。
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カムウォロルのこの自信が、バレンタイン・トゥロウに彼に賭けてみる決意をさせた。トゥロウは、ヨス・ヘルメンス率いるオランダのスポーツマネジメント会社、グローバル・スポーツ・コミュニケーション(GSC)のマネージャーであり、彼らはケニア・リフトバレー州のカプタガトにGSCのトレーニングキャンプを所有している。
この2回のオリンピック(ロンドン、リオ)のマラソンでそれぞれ優勝した、スティーブン・キプロティチ(ウガンダ)とエリウド・キプチョゲもこのカプタガトのGSCキャンプに所属している。毎年秋にトゥロウはケニアに赴いてトレーニングキャンプを視察し、今後どの新人選手を手塩にかけて育てていくかを決めるのである。
GSCキャンプ・ヘッドコーチのパトリック・サングの勧めにより、2010年11月にトゥロウは初めてジョフリー・カムウォロル(※“ジェフリー”ではなく“ジョフリー”=JOFF-reeと発音)に会った。1992年のバルセロナオリンピック3000mSC銀メダリストで、現在53歳のパトリック・サングは地元のレースでカムウォロルのことを知った。17歳で5000m13:42で走った当時のカムウォロルは才能を持っており、トゥロウは彼に強い興味を持った。
トゥロウは当時、カムウォロルに今後の夢について尋ねた。彼は、落ち着いた様子ではっきりと、
「ハーフマラソンで世界記録を出したい、そしてゆくゆくはマラソンに転向したい」
と言った。2008年北京オリンピックマラソンで優勝した、当時活躍していたサムエル・ワンジルと同じ道である。バレンシアでの世界ハーフでの13:01というラップタイムについて語った時のように、淡々を答えた。
「彼に会って話した瞬間に、彼がトップ選手になることがはっきりとわかった」
トゥロウはそう語った。
彼の才能に確信を持ち、トゥロウはカムウォロルと契約を結び、カプタガトのGSCキャンプへ連れて行った。
カムウォロルに感銘を受けたのは、トゥロウだけではなかった。2011年のベルリンマラソンのペーサーにカムウォロルが選ばれた時、彼はまだ18歳だった。当時世界記録保持者だったハイレ・ゲブレセラシエが走ったレースだ。しかし28km地点、呼吸器官のトラブルでゲブレセラシエが足を止め、後方に下がり一時コースアウト。先頭集団が次々とゲブレセラシエを追い抜いていった。
2011年ベルリンマラソン ※50秒〜ゲブレセラシエを気にするカムウォロル
1分40秒〜ゲブレセラシエとカムウォロルが2人で走っている様子
この時点でカムウォロルはパトリック・マカウ(このレースでゲブレセラシエの世界記録を更新)と共に世界記録ペースで走っていたが、カムウォロルは後ろに下がってゲブレセラシエ一人だけのペーサーとして、彼が途中棄権するまでの7kmを彼と一緒に走ったのだ。ここでの彼の行為と、その翌年のベルリンマラソンでカムウォロルが19歳でのマラソンデビューを2:06:12で走ったことで、ゲブレセラシエから大いなる称賛を受け取った。
“The Unknown Runner”はカムウォロルのドキュメンタリー
「彼が自身のスタイルを貫いてトレーニングを継続していけば、彼は世界記録を達成する男になるだろう」
2012年のカムウォロルのベルリンでのマラソンデビューの後に、ゲブレセラシエは “The Unknown Runner” というカムウォロルの半生についてのドキュメンタリーの中でそう語っている。
グローバル(GSC)との契約が、カムウォロルにとって待ちに待った出来事だった。彼は故郷のケニア・リフトバレー州のチェプコリオという町で一番、長距離走の速い男だった。高校に入学する前までにも、彼はかなりの距離を走っていた。小学校は彼の家から3km離れており、昼食の度に家に戻ってきていたので、学校と家を2往復していた。
カムウォロルは地元のレルボイネット高校に在学していた頃、化学の先生に勧められて本格的に陸上競技を始めた。高校最後の2010年、当時17歳のカムウォロルと彼の友達とで、カムウォロルの夢を追い求め、そしてプロランナーとしての地位を築くため、フィンランド遠征のための資金を貯めた。
当時のカムウォロルにはコーチがおらず、彼にとってのトラックレースでのスパイクとは、靴底にピンがついていないことを考えると(スパイクを持っていなかった)、本当の“スパイク”とはとても呼べる代物ではなかった。カムウォロルはフィンランド滞在での11週間で11回のレースを走った。4日間で5000m、3000m、そして別の5000mのレースを走るという過密スケジュールの時もあった。
カムウォロルは11レースのうち9レースで、1位か2位でゴールしたが(1500m3:48、3000m7:54、5000m13:42とそれぞれ自己記録を出した)、彼はこの遠征を楽しんではいなかった。立て続けのレースで満身創痍の状態となり、カムウォロルは次第にプロ選手たちによるエリートキャンプに入ることを夢見るようになった。特に、パトリック・サングのグループに。
「もうフィンランドには戻りたくないと思っていた。だからさらにやる気が湧いてきて、ケニアに戻ってからはハードな練習もこなした。いい場所で、いいマネジメントのサポートが受けられる環境で走りたいと思った」
彼の願いが実を結ぶまでに時間はかからなかった。2011年3月、カムウォロルがサングのグループに参加して4か月しか経っていない時、スペインのプンタ・ウンブリアで開催された世界クロスカントリー選手権ジュニアの部で優勝を果たした。それから、サングの指導の下でカムウォロルが世界屈指の長距離選手へと変貌を遂げた。2012年、彼はベルリンマラソンでマラソンデビューを19歳で果たして2:06で走り、2013年にはRAKハーフマラソンを58:54で優勝、それから毎年彼は世界ハーフマラソン選手権(偶数年=2014年、2016年、2018年)や世界クロスカントリー選手権(奇数年=2015年、2017年)で世界タイトルを獲り続けている。
去年の秋、メジャーマラソンの優勝をも手に入れた。ニューヨークシティマラソンで、ウィルソン・キプサングらを抑えて2:10:53で優勝した。
カムウォロルの活躍の道のりを聞くと、すごくシンプルに見える。規則正しい生活をし、練習をしっかりする。マラソンに向けた練習をするのであれば、ロングランをあと少し足す。トラックレースに向けた練習をするのであれば、インターバル練習を少し多くすればいい。
これが、サングが構築したGSCキャンプのシステムの美しい部分である。彼はランニングコーチにとどまらず、カムウォロルの人生においてのコーチでもある。サングは、スポーツに対する愛情や、練習する(働く)ことへの倫理観を選手たちに教え込んだ。これまで多くの才能あるケニア人選手を台無しにしてきた※物質的な豊かさに目をくらませないように教育していきた。
(※メジャー大会での優勝賞金で羽振りが良くなり、酒に溺れて破滅していく選手も多くいる。ケニアでは大金を手にしたときに貯蓄したり、先の投資にまわしていくという考えを持たずに大金を浪費していくということがよくある)
カムウォロルのような選手は、練習がフリーの日曜日ぐらいしか家族のもとに戻ることができない。彼には妻のジョイ、そして3歳のエルシーと6か月のエルヴィンという幼い子どもが、エルドレッドの近くにいる。しかし、12月から9月の間、カムウォロルはカプタガトのGSCキャンプで寮生活をしており、そこで彼は2人のルームメートと同じ部屋で家事など役割分担をして生活している。
GSCキャンプにウエイト用の器具はセメントブロックが両方についたバーベルしかない
現在、ケニアで成功しているトレーニングキャンプでも、現代的な設備というものは不足している。ここにあるウェイトトレーニングの器具は、セメントブロックが両方についたバーベルだけである。
(GSCキャンプの選手がスピードトレーニングを行う、カプタガトから数十キロ離れたエルドレットにある)モイ大学のトラックは土トラックであり、レーンを見分ける白線もない。トイレも、実際にはトイレと呼べる代物ではなく、地面に桶が置かれているだけの小屋に過ぎない。
しかし、キャンプはその目的をしっかりと果たしている。キャンプには多くのものはないが、それでも選手が必要とするトレーニングやリカバリーに関することをしっかりと提供する。そして選手たちは質素な生活の中に謙遜な姿勢を忘れない。トイレ掃除の順番が回ってくれば、誰もがそれを行う(GSCキャンプのベテランにしてオリンピック金メダリストのエリウド・キプチョゲさえも)。
Embed from Getty Imagesもちろん、GSCキャンプのヘッドコーチのサングは、ランナーをいかにして育てるかを熟知している。去年のナイキのBreaking2プロジェクトの際にナイキの科学者たちが、2時間の壁に挑む挑戦者のキプチョゲ、タデッセ、デシサの生理学的なデータを収集し、実験的試みを行った際、キプチョゲだけがなんの改善も必要としないと判断された選手だった。
彼はすでに、すべてのことを正しいやり方で行っていたのある。しかし、具体的なトレーニング内容というのは、そこまで重要ではない。選手をダメにする余計なものが省かれ、キプチョゲやカムウォロルのような計り知れない才能をもった選手を成功に導くような“文化”を築いてきたこと自体が、重要なのである。
優秀な指導者を見つければ、その文化を自分で持続させることができる。キプチョゲは長い間サングの模範である教え子であり、彼の規律のとれた生活や、それらによって導かれた成功は、カムウォロルを含めた他の選手たちの尊敬の的である(カムウォロルはキプチョゲのことを“メンター”と呼んでいる)。
2016年にキプチョゲは、昔に自分が使用していたレース用のスパイクをカムウォロルに授けた。カムウォロルはそれに感銘を受け、彼が2017年の世界クロスカントリー選手権で優勝した際にそのスパイクを履いていた。そしてメディアに誇らしくそのスパイクを見せつけた。
今、そのスパイクはキプチョゲとカムウォロルの両選手が履いており、代々受け継がれる家宝のような存在となっている。もし後を継ぐに値する選手が出てきたら、カムウォロルはそのスパイクを後輩へと受け継ぐつもりである。
「その選手を鼓舞するためにも、このスパイクを彼に引く継ぐだろう」
***
カムウォロルの直近の世界タイトルが2週間前のものではあるのだが、スポーツをいうのは先のことばかり考えるものである。だから、この質問が自然と出てきてしまう。
「次はどうするのか?」
いつものように、カムウォロルはすごくシンプルに答えてくれた。
「世界選手権で、できるだけ多くのメダルを獲りたい」
もっと近い将来でいうと、カムウォロルは秋のマラソンシーズン前にダイヤモンドリーグで5000mか10000mのどちらかを走るだろう。そして、ニューヨークシティマラソンのでの連覇を狙うだろう。長期的にみると、彼は2020年の東京オリンピックで世界王者になることを目標としている。しかし、10000mに出るかマラソンに出るかは、まだ決めていない。
しかし、カムウォロルほどのアスリートでもすべてのことを一気にはできない。GSCマネージャーのトゥロウは、カムウォロルにゼルセナイ・タデッセの58:23というハーフマラソンの世界記録の更新を狙える力があると思っているが、春の世界クロスカントリー選手権や世界ハーフマラソン選手権、夏のトラックシーズン、そして秋のマラソンシーズンに、その計画を練り込むことは、ほぼ不可能に近い。
Embed from Getty Images「彼はハーフマラソン、クロスカントリー、トラックにマラソン、すべての競技をやるから、ここ2、3年の彼の戦歴を見ればわかるように、年間に何度もハーフマラソンを走ることはできないんだ」
トゥロウはそう語った。
「ハーフマラソンの世界記録を、フルマラソンに向けての調整レースと捉えるのは理想的とは言えない。だから、マラソンシーズンはハーフマラソンの記録は狙えない。トラックに集中しているときも、ダメだ。2月がいいかもしれないが、通常2月には世界クロカンか世界ハーフのケニア代表となるためのトレーニングをしている。そんな事情もあって、ハーフマラソンで世界記録を目標にする適切なレースと時期を見つけ出すのは、至難の業なんだ」
確かに、2015年の初め以来、カムウォロルが走ったハーフマラソンは2つだけである。2016年と2018年の世界ハーフマラソン選手権だ。ここ数年先の計画を綿密に練るためには、カムウォロルをしっかり会話をしていかなければならないが、トゥロウはここ数年はうまくいく予感がしているという。
「2020年東京オリンピックまでは、彼は今のやり方を続けていく気がするんだ。クロスカントリー、ハーフマラソン、トラック、そしてフルマラソンを走るスタイルだ。東京オリンピックが終わってから、本格的にマラソンでタイムを狙いにいく気がしている」
「…彼はマラソンに関しては、まだまだ学んでいる途中だ。ハーフマラソンとクロスカントリーに関しては、自分でコントロールできるまでになっている。バレンシアでの世界ハーフのレースを見ても、スタートから速いペースになろうが、スローペースからゴール前にいきなりペースが上がろうとも、そんなの彼には関係がない。どんな展開のレースでも、彼は対応ができる」
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ここ数年のカムウォロルの走りを見ると、彼は他の選手とは違うことは明らかだったが、彼にインタビューをすることでそれは確信に変わった。これだけ成功しているのにも関わらず、常にモチベーションを高い位置で維持している秘訣について彼に尋ねると、驚く答えが返ってきた。
「金メダルと獲るという目標があるから、厳しい練習にも耐えられるモチベーションが維持できる。将来もっとできるんじゃないかという思いが、常に自分を奮い立たせる」
失敗が人を成功に導く、よく言われていることだ。スポーツジャーナリストとして自らの経験からも、それは真実だと思っている。しかし、ジョフリー・カムウォロルは違う。彼はこれまでの勝利にも満足していない。彼のこれまでの成果は、次の勝利、その更に上を目指したいという思いを強くさせているのだ。
「彼は決して後ろを振り返らない」
そう語るのは“The Unknown Runner”の中で登場するサングのアシスタントコーチであるリチャード・メトだ。
「GSCキャンプにいる他の選手は過去を振り返るが、彼はそうしない。前に向かって集中しているとき、彼は前しか向かない。そこに誰が居ようと彼は気にしない。ただ、前進し続けるだけだ」
振り返れと言われても、彼は前を向かずにはいられない。これまでの多くの勝利の中で、どの勝利が1番かという質問をカムウォロルに投げかけてみた。
カーディフ(2016年世界ハーフ)とも、ニューヨークシティマラソン(2017年)ともバレンシア(2018年世界ハーフ)とも答えなかった。彼がまだ手に入れたことのない金メダル、それが彼の答えだ。
「オリンピックで金メダルを獲ること、それが自分が1番成し遂げたいことだ」
レッツラン記事
http://www.letsrun.com/news/2018/04/greatness-geoffrey-kamworor-kenyan-star-go/
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2018世界ハーフマラソン:ジョフリー・カムウォロルが15kmからの5kmを13:01で走り3連覇 – ネサネット・グデタが女子のみレースでの世界新記録の66:11で優勝
ピンバック: カムウォロルがハーフマラソンで世界記録更新!! | 走りを極める