ポーラ・ラドクリフのマラソン“2:15:25”は、今となっても驚異的な記録でありますが、その記録が今だに残っているということは、それだけ価値のある素晴らしい数字であるということです。
この記事における要約を以下に記します。彼女が現役時代に何を大切にしていたか、どんなマインドで競技に取組んでいたか、どんなトレーニングメニューをやっていたかなどが少し書かれています。
「自分に何ができるか、自分のトレーニングからそのアイディアを手に入れることができる」 – ポーラ・ラドクリフ
下に記すポーラ・ラドクリフのトレーニングは、“Paula My Story so Far” という書籍がもとになっており、2005年のサンデータイムズ紙と2008年のガーディアン紙のインタビューからも抜粋している。
Embed from Getty Images【プロフィール】
- 1973年12月7日イングランド チェシャー州バーントン生まれ
- 女子マラソン世界記録保持者(2:15:25)
- 2005年ヘルシンキ世界選手権女子マラソン:金メダル
- ロンドンマラソン:3回優勝(2002年、2003年、2005年)
- ニューヨークシティマラソン:3回優勝(2004年、2007年、2008年)
- シカゴマラソン:優勝(2002年)
- 世界クロスカントリー選手権:2回優勝(2001年、2002年)
【自己記録】
- 3000m:8:22.20(イギリス記録)
- 5000m:14:29.11(イギリス記録)
- 10000m:30:01.09(欧州記録)
- ハーフマラソン:1:06.47(イギリス記録)
- マラソン:2:15.25(世界記録)
「ある一定のペースでずっと走ろうと決めたことがない。私のキャリアにおいてのモットーは “no limits”(限界を決めない)だった。決まったタイムや決まったスプリットで走ろうと思ったことはない。もし、決めたスプリットよりも速く走っていたら、スピードを落とすの?」 – ポーラ・ラドクリフ
ラドクリフのトレーニング環境について多くは知られていないが、書籍と過去のインタビューからその糸口を探った。
「走っていない日を思い出すことなんてできないわ」 – ポーラ・ラドクリフ
ラドクリフは、若い頃から走り始め、もともと強い競争心を持った子どもだった。彼女の最初のメジャーなレースへの出場は11歳の時のイギリス・クロスカントリー選手権で、その時の順位は299位であった。そこからの飛躍は皆が知るものであるが、彼女の強い競争心は、そのトレーニングにも見て取れる。
【トレーニングの一例】
- ラドクリフのマラソントレーニングの鍛錬期は、週平均で約200km(145マイル)少々
- 彼女は常に“高地トレーニング”にフォーカスを当てていた。高地トレーニングは好ましいトレーニングであるが、彼女はよく高地に張ったテントの中で寝ることもしていた。
- 起伏の多いところで走り込むことは、非常に重要である。
- ラドクリフは年間を通じて「質の高いボリュームのあるトレーニング」を行っていた。彼女のトレーニングの内容は、冬の間(オフシーズン)も大して変わらなかった。年間を通して、同じような質の高いトレーニングを継続していく。
- 彼女の持久系トレーニングは、他の有名なマラソン選手と比較してもかなり質が高かった。その内容は、自身の乳酸性作業閾値(LT値=Lactate Threshold)を超えるものが多かったと言われている。例えば、主要なメジャーマラソンへ向けた、ハードなトレーニングのセッションの多くは「10000m〜ハーフマラソンのペース」で行われていた。
- 負荷の軽いジョグの日も、彼女はかなり速いペースで走っていた。
- ラドクリフは、脈拍を毎朝測定していた。通常は「38-40回 / 分」であったが、マラソントレーニングの鍛錬期は「42回 / 分」まで上がる。しかし「45回 / 分」かそれ以上になると、十分に身体が回復していないため、トレーニングの負荷を下げるか、1日を休養に充てていた。