初マラソン世界最高記録でマラソンデビューを果たしたグエ・アドラ:レース4日前に、ベルリンマラソン出場を知る

By Michael Crawley

(※この記事の著者、マイケル・クローリーはイギリスのエディンバラ大学博士課程の学生であり、最近15か月のエチオピア滞在から戻ったばかり。彼はそこでエチオピアのランナーたちとトレーニングをともにし、現在論文と、エチオピアの陸上文化についての本の執筆中である。エチオピアでは、アディスアベバの郊外、コテベと呼ばれる町に住み、偶然Hirut caféという地元のお気に入りの場所で彼はグエ・アドラと会った。アドラが初マラソン世界最高記録の2:03:46を出した後の話だ)

4日前にベルリンマラソン出場を知らされる

日曜日のベルリンマラソンで、初マラソン世界最高記録を出した数時間後にグエ・アドラに電話をした。彼が電話に出るとは思っていなかったが、彼と話すことができた。

「Inde?」

私は尋ねた。アムハラ語(エチオピアの公用語)で驚きや憤慨を表す言葉だ。

「3分台で走ったのか?」

マラソンのタイムを言うときに、エチオピア人は何時間かは気にしない。“2時間”は言わなくてもわかる。それは暗黙の了解なのだ。“3分台のランナー”なのか“10分台のランナーなのか”ということだ。エチオピアの人たちが私について話す時に、“9分のランナー”と言っていたが、それは誰もが速いこの場所において、私の面目を保つために本当の記録から10分引いてくれていたのだ。そのことに気付いたのは数か月前だった。電話でグエは、笑い出し、グエの後ろでは人々が彼を祝福している声が聞こえた。

レースの朝、多くのランナーを見つけ、ペースメーカーの後ろにはエリウド・キプチョゲ、ケネニサ・ベケレ、ウィルソン・キプサングの“ビッグ3”が走っているのだろうと予想していた。しかし、彼らの後ろに良く知った選手が走っているなんで予想もしていなかった。レース序盤、アドラはとても調子が良さそうに見えた。

15km地点もグエの調子は良さそうだった。中継では給水所のスローモーションが映し出されたが、キプサングは給水ボトルを取れなかった場合のことを心配しているように見えたが、グエは給水を失敗し、肩をすくめて笑っていた。グエは勝てるかもしれない、そう思った。でもまだレース序盤だ。

「君がベルリンを走るなんて、それさえも知らなかったよ」

私が電話でグエにそう言うと、彼を笑うのをやめた。

「マイキー、僕も知らなったんだよ」

彼はそう答えた。

「水曜日の朝のトレーニングの後に、ベルリンを走るって知らされたんだよ!」

キプチョゲがこのベルリンマラソンの為に入念に準備されたトレーニングプランを行ってきたことを考えると、このグエの答えは驚愕の言葉以外の何物でもなかった。グエが言うには、水曜日の朝の練習を終えた後にコーチに呼ばれて、

「ドイツへ旅行をしてみないか?」

と言われたそうだ。彼は、初マラソンを経験するためにも“第2集団で走ること”をアドバイスされていたという。これが、レース当日朝までの彼の計画だった。しかし、彼は笑ってこう付け加えた。

「でも、スタートラインに立った瞬間に、先頭集団で走るってどんな感じか、体験したくなったんだ。それに、先頭集団で走ればベケレを助けられるかもしれないとも思った」

(※この記事が公開された後に、アドラのコーチであるゲメドゥ・デデフォはTwitterで、“アドラは4か月前にはベルリンマラソン出場を知っていたが、4日前までにそのことを周りの人には伝えていなかった”と、ツイートした=つまりアドラはベルリンを走る事を忘れていた??

グエは、彼が出場するレースの時期や場所を知らないことがよくある。昨年の世界ハーフマラソン選手権のエチオピア選考会で優勝(標高約2200mで63:22)した夜、彼とコテベのHirut caféで話したのを覚えている。そこで、グエは世界ハーフマラソン選手権でバーミンガムに行くと言った。

「それはバーミンガムではなくてカーディフだと思うよ」

と、私は教えてあげた。それが、レース2週間前のことだ。

Facebookで世界ハーフマラソン選手権を検索すると、モー・ファラーの大きな写真がアップされていた。

「モー・ファラーもこれに出場するのかな?」

彼はとても嬉しそうだった。

レースの日程が、エチオピアのカレンダーだといつになるのか数分間計算し(エチオピアのカレンダーは違っている)、彼は気分よく出て行った。自分のレースがいつどこで開催されるのか気にしない選手は、どんなレベルの選手であっても、そんなに多くないだろう。この、のん気なアプローチは、マラソンではうまくいかない。しかし、グエは違った。

私がエチオピアを出る頃には、グエはちょうどハーフマラソンの選手(彼の自己記録は59:06)から、マラソン選手への転向に奮闘している最中だった。彼は、お気に入りのカフェにもあまり来なくなり、来たときにはいつもより疲労している様子が見て取れた。彼はここのランナーでは珍しいビール好きの選手だったが、今ではラオスという、溶かしたピーナッツバターで作った温かい飲み物をよく頼むようになっていた。身体の回復のためだ。

ゲメドゥ・デデフォ率いるトレーニンググループの選手の持ちタイム

世界でも安定して強い選手を多く抱えるコーチのゲメドゥ・デデフォのもと、グエはトレーニングをしている。ゲメドゥは、マラソンにおいて厳しい“能力主義”の考えを持っている。ハーフマラソンで59:06の記録を持っていても関係ない。40km走のトレーニングを先頭で完走できなければ、マラソンは走れない。最初の数か月は、この長い距離をグエは“自分のペースで走らなければならなかった”と言っていた。集団のペースにはついていけなかったからだ。

ある朝、私は標高2680m程度のセンダファという丘を走って、あまりもの高地であることに苦戦し自分がいたグループから脱落し始めていた。ゲメドゥのグループは、まるが私がその場で立ち止まってるかと勘違いするぐらい、ものすごいスピードで無言で私を追い抜いて行った。20秒後、誰かが私の背中を強く叩いた。

「ミッキー、何をしてる?」

グエだった。

「男なら走れ!」

彼は指を鳴らし、彼のシューズの踵を指差しながら、今や有名なエチオピアの

「ついてこい」

という意味のジェスチャーをした。言うまでもないが、私は付いていくことができなかった。

グエに、いつ走り始めたのか聞いたとき、我々のカレンダー(世界の標準的な)から8年遅いエチオピアのカレンダーをもとに、計算しなければならなかった。

「勉強している間、2000年に走りはじめたよ」

エチオピアの2000年は、世界の2008年だ。彼は2014年23歳の時に、初めて国際大会でデビューしている。

「学校で少し走ったけど、その頃のコーチは陸上競技についてよくわかっていなかった。彼はただ当てずっぽうにコーチしていただけだった。自分は走ることを仕事にしようと決めて、“Facebookで地域のコーチの投稿”を探し始めたんだ。“Googleでもトレーニングセッション”を探した。コーチが言ったことと、自分で学んだことをミックスしてやってる」

彼はまず、アンボという彼の地元のレースを走り始め、次第に地区レベルの10000mで勝つようになった。2009年にクラブを見つける。

「給料を払ってくれた」

彼はウィンクをして言った。

「石鹸とか、そういうものを買うには十分なポケットマネーだ」

2、3年前に彼はマネージャーと一緒にアディスアベバに引っ越してきた。彼の転機となった、2014年のコペンハーゲンで開催された世界ハーフマラソン選手権で、彼が銅メダルと獲ったとき、コースについてあらかじめ知っていれば、もっといい結果が出せたのに、とグエは言った。

「最後のカーブを曲がって、スパートの準備はできていた。でも、フィニッシュラインがもうすぐ目の前にあって、エリトリアの選手がすでに先頭でゴールしていた」

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話をベルリンマラソンに戻す。

「世界記録のペースで走るのは、どんな気持ち?」

私は彼に尋ねた。

「ペースについては考えてなかった」

と、彼は答えた。“いつも通りにレースをすることだけに集中した”と。

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39km地点のジャンダルメンマルクト広場で王者の意地に屈する ©2017 Steffen Hartz

「とにかく、自分たちは5~6秒ほど世界記録のペースから遅いと言われていたから、タイムについては心配しないと決めたんだ」

37km地点で脚が痛むまでは、調子が良かったと、彼は言った。

アベベ・ビキラの事を考えた。彼は裸足で走ったんだ!僕のヒーローだよ。彼が天国で安らかに眠ることを祈って」

エチオピアの雨期に、マラソンに向けてのトレーニングをするのはどんな感じなのか、彼に尋ねた。もちろん雨が降ると地面が濡れ、身体のエネルギーを著しく減少させる。

ケネニサは雨だったから、調子は90%ぐらいと言っていた」

私はグエに伝えた。グエベケレにアドバイスがあった。

ベケレはグループでトレーニングしない。だから、雨を見て、“今日は良くない天気だ、止むまで待とう”と考える。でも、グループでトレーニングすると、お互いがサポートをしあって励まし合える」

グエは、彼のトレーニンググループ、特にコーチであるゲメドゥ・デデフォに感謝していた。もし、ゲメドゥがあえて、直前までベルリンを走ることをグエに言わなかったのなら、グエは、プレッシャーと期待がなかったから、いい結果を残せたのだろうか。

コーチのゲメドゥ・デデフォとアドラ

この先のマラソンのプランは?と聞くと、

「今はわからない。未来の事はそのうちわかる」

と、彼は言った。彼は、この先もレースの直前で自分の走るレースについて知るのだろうか。

****************

補足:去年のカーディフで行われた2016年の世界ハーフマラソン選手権で、アドラジョフリー・カムウォロル(スタート転倒するも奇跡的に優勝)の側で転倒してしまい、16位に終わった。その後、(この記事の筆者の)マイケル・クローリーはLetsRunにアドラについての記事を書いてくれたが、受信ボックスで埋もれてしまい、世に出すことができなかった。その記事の抜粋が以下である。

↓↓↓↓

アドラはオリンピック10000mに出場したいので、マラソンデビューは2017年まで待った

「次のレースは?マラソンは走るの?」

と、私は聞いた。

「“今、マラソンを走れ”とアドバイスされるけど、今は走りたくない。オリンピックは4年に1回だ。10000mでオリンピックに出たいんだ。※選考会はユージンである。それってアメリカかな?」

彼の為に5月15日まであと何週間残っているかを計算した。

「エチオピアの標準のタイムは26分台か27分代前半だ。準備をしっかりしよう。このレースについてはあまり深く考えたくない。ストレスを感じたり心配したりしたくない。結果が出なかった時に自分を責める選手がいる。でもそれは、自分の調子にもメンタルにも、練習にも良くないことだ。カーディフから戻った時、僕はチームを笑わそうとした。まるで、自分たちが勝ったかのようにね。負けても気にしない。練習を続ければ、必ず結果はついてくる

(※去年のプレフォンティンクラシックは実際は5月27日に開催された。エチオピアのトップ選手が10000mをこのレースで走ったが、実際の選考会は6月29日のヘンゲロでの10000mで行われた)

アドラは途中棄権を嫌う:途中棄権するよりもゆっくり走ったほうがいい

「2016年の世界ハーフマラソン選手権はきつかったよ。でも、途中棄権はしたくなかった。“もう勝てない”とわかると、途中棄権する選手が多い。勝てなかったら、“何ていわれるだろうか?”って、棄権する選手たちは思うんだ。でも僕は、人が自分のことをどう思うかなんて気にしない。63分(ゴールタイムの63:26)という記録が僕のプロフィールを気づつけたとしても」

「もし世界ハーフマラソン選手権で転倒していなかったとしても、自分は優勝争いには参加できなかっただろう」と、アドラは言った

「調子は良くなかった。感染症(腸チフス)にかかっていて薬を飲んでいたから力も出なかった。先頭集団を追いかけたが、それができなかった。そんな状態ではなかった」

アドラは目をキラキラさせていた。

「本来の調子だったら、先頭を捉えられた。2km離されたとしてもね。自分のペースで走れば、追いついてたよ」

「最初の1kmを2:36というのはキツいね。最初は身体を慣らすためにも2:55ペースか2:45ペースで最初の1、2km走り始めるからね。それに悪いコンディションのために、最初からたくさんの力強さが必要になる。力強さがなければ、身体が空っぽに感じ、いろんな所に強風で飛ばされちゃうよ」

アドラは頭を振りながらいった。

「このレースでの天気は厳しいものだった。だから、カムウォロルは凄いと思うよ。彼は、本物の力強い走りを持っている」。

スタート直後の転倒について、彼はこう言った。

「みんな後ろから押してきた。すごい圧力だった。最初からスピードを上げていかないといけないって、みんな思っていたよ。そうでなければ、みんな最初からパワーに満ちあふれてるから、僕たちをあちこちに押しやっていくだろうって」

「カムウォロルがつまずいたのかはわからないけど、彼は転倒した。彼は左側に転倒しなければ僕はまだそのまま走り出せたが、カムウォロルは自分の方に転倒したから、何もできなかった。彼を飛び越えていくこともできたかもしれないけど、それでは自分が怪我していたと思う。だから、お互いに起き上がるように頑張った。最初に彼が僕を起き上がらせてくれて、またレースに戻って行った。もう一回レースに戻ったけど、背中を痛めてしまった。誰かに踏みつけられたんだ」

「後ろからものすごいプレッシャーがあって、僕はなんとか耐えれたけど、カムウォロルは走り去っていったよ。彼が帽子を脱ぎ捨てるのを見たけど、まるで蜂に刺されたかのように、走り去っていった。そんな時に、僕はようやく起き上がって走り出した」

その手で集団をかき分けていくような仕草をしながら彼は話した。

「この地点で、多くの選手が自分を抜かしていった」

アドラは英語の勉強を頑張ってる

なぜこのカフェの常連客なのかと聞くと、アドラはこう答えた。

「海外に言ったときにコミュニケーションが取れるように、正しい英語を習いたいんだ。お互いに助け合えるだろう。君はアムハラ語を上達させられるし、僕は英語を学べる」

エチオピアでたった1つのカフェには、7人〜8人の世界クラスのランナーが集う

ジョンは、このカフェを妻でありカフェの名前でもあるHirutとともに経営している。

「今夜は何人の世界クラスのランナーが来たか知ってますか?」

そう尋ねると彼は、

「分からないな」

と、言った。

「7人か8人ですね」

私は彼に教えた。

「2:09台のランナーに、ハーフマラソンで世界記録級のタイムを持つランナーもこの机に1人。ハイレは、あそこでピザを食べてる人は2:05台の選手だと言っていたよ」

著者がマラソンを2:19のタイムでしか走れないことに同情してくれる

ここでマラソンのタイムを語る時、何時間かという部分を言う必要はない。Kasimmin(8分台、もしくは2:08)か、kasr arat(14分台、もしくは2:14)という。私のマラソンのタイムがkasr zetayn(2:19)だと伝えると、彼らは同情するような眼差しで私を見て

「心配するな。ここに半年いれば2:10で走れる」

と、言った。

(※クローリーは2:19:39のベストタイムを持っているが、そのレースのコースは380m短かったことが後に判明した)

 

レッツラン記事

http://www.letsrun.com/news/2017/09/unbelievable-guye-adola-just-ran-fastest-marathon-debut-history-didnt-know-running-berlin-4-days-race/

 

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