世界記録の歴史:ベルリンで記録された男子マラソンの世界記録を振り返る

もし、あなたがマラソンで世界記録を出したいと願うなら、良いアドバイスをしてあげよう。ベルリンで走ればいい。現在の男子マラソンの世界記録から遡って過去6回、この14年間のマラソンの世界記録は全てベルリンで更新され続けている。ベルリンマラソン以外で出た最後の世界記録は、2002年のロンドンマラソンでの、モロッコ出身でアメリカに帰化したハリド・ハヌーシが記録した2:05:38という記録だ。

それ以来、2:05の壁、2:04の壁、そして2:03の壁は全て、ベルリンで破られてきた。今週、日曜日のベルリンマラソンで、世界記録が塗り替えられる期待が高まるなか、ベルリンで記録された7つの世界記録を振り返ると面白いと思ってこの記事を執筆した。

1908年のロンドンオリンピック。“26マイル+385ヤード”=42.195kmという距離が公式な種目となってからの男子マラソンの世界記録の変遷を見てみると(最初の世界記録はアメリカのジョニー・ハエスの2:55:18)、歴史的に見ても世界記録は、その度にすぐ破られてきた。それ以降、IAAFが認めている公式な男子マラソンの世界記録は39回更新されている。

という事は、平均的に男子マラソンの世界記録は3年ちょっとしかもたず、更新され続けているという計算になる。10年以上も破られなかった世界記録は、長い歴史の中でも2回しかない。

その1つ目の世界記録は、1935〜1947年に残り続けた、2:26:42という記録である。その期間は、第2次世界大戦の真っ只中だった、という理由がある。2つ目の世界記録は、1988年4月17日ロッテルダムマラソンで、エチオピアのビレイネ・ディンサモが記録した2:06:50の記録で、その10年5か月3日後に、ロナルド・ダ・コスタが更新するまで破られなかった記録である。

【世界記録その1】1998年9月20日:ロナルド・ダ・コスタ(ブラジル)2:06:05

1988〜1998年、この期間に世界記録が出なかったのは、もちろん戦争のせいではない。原因は、80年代後半〜90年代前半に流行した“走行距離をあまり踏まないほうが実はいいのでは?”という信仰に基づいている。

“1998年にダ・コスタが世界最高記録を更新したのは驚きだった”というのは控えめすぎる表現である。当時28歳のダ・コスタは、前年のベルリンで2:09:07の5位。この、1回のみのマラソン経験で、このベルリンマラソンに出場した。そして、彼は1994年にハーフマラソンを60:54で走っており、当時としてはかなりの※偉業を成し遂げていた。

(※all-athletics.comによると、1998年より以前にハーフマラソンの61:00切りを達成した選手はたった53人のみ)

だからといって、彼がマラソンで世界最高記録を出せるとは思いもよらなかった。それまでのダ・コスタの主な国際大会での実績といえば、1998年8月23日に行われた南アメリカ選手権のハーフマラソンを62:13で3位に入っただけだった。彼がこの1998年ベルリンマラソンで中間地点を64:42で通過した時は、その後の世界最高記録を予想した人はいなかったのではと思う。しかし、彼は後半のハーフを、なんと61:23で走ったのである。

しかも、フィニッシュしてすぐに、側転をするぐらいの※余力があった。しかし、ダ・コスタはその後のマラソンで実績を残せず、一発屋で終わってしまった。世界記録を出した後の、彼のマラソンの最高記録は結局2:12:52だった。

(※↓↓側転の様子はレースの動画で確認出来ます)

トリビアその1:ダ・コスタは、このベルリンマラソンの1週間後に世界ハーフマラソン選手権を走って61:40の12位に終わった。

トリビアその2:ダ・コスタは※マウント・サック・リレーの10000mで、LetsRun.comの共同設立者であるウェルドン・ジョンソンに1周抜かしを喰らった。

(※アメリカで4月にある大きな大会)

【1998年ベルリンマラソン:2:06:05レース動画】

【世界記録その2】2003年9月28日:ポール・テルガト(ケニア)2:04:55 – 2:05の壁を破る

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ダ・コスタが2:06:05を出した後、ベルリンマラソンではないレースでハリド・ハヌーシが2回世界最高記録を更新した。ハヌーシがモロッコ国籍として出場した、1999年のシカゴマラソンで2:05:42、アメリカ国籍として出場した、2002年のロンドンマラソンで2:05:38を記録した。
このロンドンマラソンでは、男子10000m元世界記録保持者だった、ポール・テルガトが2:05:48で2位に入り、その17ヶ月後、次に世界記録を出したのはそのテルガトだった。

(※ちなみに、本文とは関係ないが…2002年のシカゴマラソンで、ハヌーシテルガトと競り合って、2:06:16の元日本最高記録を出して3位に入ったのが高岡寿成

5年前のベルリンでのダ・コスタの世界最高記録と違って、テルガトには世界最高記録保持者となる実績や才能があった。彼はそれまでに、世界クロスカントリー選手権で5回優勝しており、男子10000m元世界記録保持者(自己記録26:27)であり、当時59:17というハーフマラソンの世界最高記録も持っていた(距離が少し短い非公認コースで58:51の記録も出していた)。

テルガトは当時、シカゴマラソンの主催者から提示された※多額の出場料、という好条件を蹴ってでも、好記録を出すためにベルリンマラソンの舞台を選び、そして世界最高記録を出した。ダ・コスタと同様に、テルガトは前半63:04、後半61:51のネガティブスプリットで走った。2位と1:21秒差という大差で圧勝したダ・コスタと違って、テルガトの優勝争いは、最後までもつれた。

(※出場料=アピアランス・フィー)

レースは15マイル過ぎ(23km前後)にペースが上がり、テルガトは2人のペーサーと争うレースとなった。1人は、ケニアのサミー・コリル。自己記録2:08:02の持ち主で、1998年のアムステルダム・マラソンを含めて6つのマラソンで優勝しており、2:09を5回切っている選手である。もう1人は、こちらもケニアのティトゥス・ムンジ。この年に行われたチューリッヒ・マラソンがマラソンデビューで、そこで2:16:58で走った選手である。

(※当時のペースメーカーは役目を果たした後、そのままゴールしても良い契約であった)

この3人は、イタリア人医師で、ケニアに※“トレーニングキャンプ”という仕組みを作り上げた1人であるガブリエル・ローザのもとで当時トレーニングしていた選手である。このトップを走る3人は、25 〜 30kmを14:42、30 〜 35kmを14:35で走り、37km地点でムンジが離れたが、あとの2人は35 〜 40kmを14:38で走った。そして、残り1kmを切ったところでテルガトが前に出た。

(※1990年代に、ケニア人選手の育成システムの構築だけでなく、ヨーロッパのコーチ、トレーナー、エージェント、そして各スポーツメーカーとを繋げるきっかけとなった。その後のケニア人選手の活躍は言うまでもない)

フィニッシュラインを目前にして、ブランデンブルグ門の下を走るテルガトは、コリルが10~20m後ろに後退したので、優勝を確信し、そして世界最高記録をも確信しているように見えた。しかし、トラックでは、いつもハイレ・ゲブレセラシエの後ろ、2位でゴールする事がほとんどだったので、テルガトは何度も後ろを振り向きはじめ、コリルもあと少しのところまで迫ってきた。

テルガトが、わずか1秒差でコリルに勝ち、コリルもまた、前の世界最高記録を破る2:04:56でゴールした。テルガトがこの世界最高記録を出した時は、すでに34歳だったが、この後6年間、彼は競技を続けた。しかしこの後、テルガトはもう1度このような快記録を出す事は出来なかった。この世界最高記録の後の1番速いタイムは、2007年のロンドンマラソンの2:08:07だった。

彼が2度とこの世界最高記録に匹敵するような良い記録を出せなかった理由としては、この後に。1回もベルリンマラソンを走っていない、ということが挙げられる。彼は2004年のアテネオリンピックに出場して10位、2005年の秋にニューヨークマラソンに出場して優勝している。

【2003年ベルリンマラソン:2:04:55レース動画】

【ポール・テルガト:2:04:55の通過記録】

5km 0:15:01(15:01)
10km 0:29:58(14:57)
15km 0:44:46(14:48)
20km 0:59:45(14:59)
ハーフ 1:03:04
25km 1:14:43(14:58)
30km 1:29:25(14:42)
35km 1:44:00(14:35)
40km 1:58:38(14:38)

42.195km 2:04:55(63:04 – 61:51)ラスト2.195km 6:20

【世界記録その3】2007年9月30日:ハイレ・ゲブレセラシエ(エチオピア)2:04:26

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テルガトの世界記録は4年間続いたが、エチオピアのハイレ・ゲブレセラシエが彼の競技生活でいつもそうしてきたように、マラソンでもポール・テルガトを記録で破った。 前年のハーフマラソンでの58:55の記録も含めて、27個の世界記録を出してきた当時34歳のゲブレセラシエは、2006年12月の福岡国際マラソンを優勝(2:06:52)した後、当時のエチオピア記録である2:05:56の更新を目指していた。

ゲブレセラシエは、2007年4月のロンドンマラソンを※途中棄権した後に、5月の10000mのレースで26:52で走って復活し、6月にトラックの20000mで56:26の世界最高記録を出した。ベルリンマラソンへ向けた練習をしている間にも、ニューヨークのNYRRハーフマラソンに出場し59:24の優秀なタイム(夏の暑い日のレースだった)で優勝した。 その8週間後のベルリンマラソンで、ゲブレセラシエは世界記録を狙っていた。

(※幾度となく栄光を掴んできたゲブレセラシエが、突然レース中に止まった。レース後に、マネージャーのヨス・ヘルメンスに「もうマラソンは走らない」と言うほど彼にとってはショッキングなレースだった)

ダ・コスタテルガトの時と同様に、ゲブレセラシエはネガティブラップ(前半62:29、後半61:57)で走って、世界新記録を出した。ゲブレセラシエのこのラップタイムは興味深いものだ。なぜなら、レース全体を通して彼はテルガトの前を走っていたが、35km過ぎでもまだゲブレセラシエは世界記録からはわずかに遅れていた(35kmで2:04:57ペースだった)。

テルガトの世界記録のレースでも、かなりのネガティブラップで走っていた。下の図を見ればわかるように、ゲブレセラシエは35〜40kmを14:28でカバーし、世界新記録を出せる事を確実とした。このレースの2位は、2:06:51でアベル・キルイキルイは2009年のベルリン世界選手権と2011年の大邱世界選手権で優勝し、2012年のロンドンオリンピックは銀メダル、2016年のシカゴマラソンでも優勝した選手だ。

ゲブレセラシエ 2007年 テルガト 2003年 ラップタイムの差(総合タイムの差)
5km 14:44 15:00  -16 (-16)
10km 14:41 (29:25) 14:55 (29:55)  -14 (-30)
15km 14:50 (44:15) 14:50 (44:45)  ±0 (-30)
20km 14:55 (59:10) 14:58 (59:43)  -3 (-33)
25km 14:55 (1:14:05) 14:59 (1:14:42)  -4 (-37)
30km 14:51 (1:28:56) 14:42 (1:29:24)  +9 (-28)
35km 14:42 (1:43:38) 14:35 (1:43:59)  +7 (-21)
40km 14:28 (1:58:06) 14:37 (1:58:36)  -9 (-30)
42.195km 6:20  (2:04:26)  6:19  (2:04:55)  +1 (-29)

※中間地点:62:29(ゲブレセラシエ)63:04(テルガト)

【2007年ベルリンマラソン:2:04:26レース動画】

【世界記録その4】2008年9月28日:ハイレ・ゲブレセラシエ(エチオピア)2:03:59 – 2:04の壁を破る

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2007年のベルリンマラソンで世界新記録を出した後、ゲブレセラシエは1月のドバイマラソンを2:04:53で優勝して25万ドルの賞金を手に入れた。高額な賞金であるように思うが、世界新記録を出すと、さらにボーナスで100万ドル追加でもらえるので、合わせて125万ドルの賞金を目指していた。彼は世界新記録の為に、今までのレースとは違って前半を61:27のハイペースで走った。

ドバイマラソンの後、彼は既にマラソン世界記録保持者であったが、2008年の北京オリンピックのマラソンを回避して10000mに出場した(27:06.68の6位)。北京の大気汚染が、彼の持っているアレルギーに反応するのを嫌っての事だった。その後、北京オリンピックを10000mに絞った事もあり、ダメージを残さず1ヶ月半後のベルリンマラソンの前に、ゲブレセラシエ“2:03台で走りたい”と語り、実際に有言実行した。

ゲブレセラシエは、わずかではあったが62:03 – 61:56という、ネガティブスプリットで走って世界新記録を出した。ペースメーカが抜けるまでは、ゲブレセラシエは世界記録のペースよりも少し遅れをとっていたが、その後、彼と2007年のボストンマラソン2位のジェームス・クワンバイがペースを上げてレースを引っ張った。

クワンバイは結局、2:05:36でゴールしたが、36km過ぎまでゲブレセラシエと一緒に走った。クワンバイが脱落すると、“ゲブレセラシエが世界新記録を出すのではないか”という事がほぼ確実になった。唯一の疑問は、果たして彼が2:04:00を切れるか、という事だった。 35kmからゴールまでを、ものすごいスピードで走り抜け、ゲブレセラシエは2:04:00を1秒切ってゴールした。

2:04:00ペースというのは、5kmごとのラップの平均が14:41.6で、35kmの通過地点(1:43:05)でゲブレセラシエは2:04:16ペースだった。しかし、次の5kmを14:29で走った。40kmの通過地点では2:04:01ペース。ゲブレセラシエは最後の2.195kmを追い込んで、2:04:00の壁を見事に破ったのだった。

【ハイレ・ゲブレセラシエ:2:03:59の通過記録※公式発表の通過記録ではない】
5km 14:35
10km 14:38(29:13)
15km 14:50(44:03)
20km 14:47(58:50)
25km 14:51(1:13:41)
30km 14:38(1:28:27)
35km 14:38(1:43:05)
40km 14:29(1:57:34)
42.195km 2:03:59(62:03 – 61:56)ラスト2.195km 14:35ペース

【2008年ベルリンマラソン:2:03:59レース動画】

【世界記録その5】2011年9月25日:パトリック・マカウ(ケニア)2:03:38

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ゲブレセラシエのマラソンの2回目の世界新記録は、最初の世界新記録よりも2年間長く破られる事がなかった。しかし、2011年に当時26歳のパトリック・マカウが2:03:38で走り、世界新記録で優勝した。この世界新記録は、ベルリンマラソンでポジティブラップ(61:43 – 61:55)での初の世界記録の更新となった。

このレースの前、誰もがマカウと38歳のゲブレセラシエの対決に興奮していた。ゲブレセラシエは、その前年のニューヨークシティマラソンを途中棄権しており、続いて東京マラソンにエントリーするも棄権、それ以来のマラソンだった。このベルリンのレースでは16.7マイル地点(27km地点手前)で2人の対決は実現した。この時点で、ゲブレセラシエが風よけとしてマカウの後ろを走っている事に、マカウはイライラしていた。

ニューヨークタイムズのジェレ・ロングマンによると、マカウは、

“ジグザグ走法をして3回も走る位置を左右に変えた。マカウは、その動きをする事でゲブレセラシエを混乱させ、疲れさせる狙いがあった。実際、ゲブレセラシエに疲労が溜まっていった”

マカウはペースを上げて、ゲブレセラシエを振り落した。マカウが進路を頻繁に変えた事は話題になったが、実際はマカウは25〜30kmを14:20という、ゲブレセラシエにとって致命的となる速さで走っていたのだ。1度離れてしまったゲブレセラシエはその後、その差を詰められず、ついには途中棄権。レースはマカウの優勝タイムに注目が集まった。その後、マカウは粘って世界新記録を出した。

Sportscientists.comによるラップタイム】

先頭のラップタイム
5km – 14:36(2:03:13ペース)
10km – 29:17(2:03:34ペース)5〜10km:14:41
15km – 43:51(2:03:21ペース)10〜15km:14:34
20km – 58:30(2:03:25ペース)15〜20km:14:39
中間地点 – 61:43(2:03:26ペース)
25km – 1:13:18(2:03:43ペース)20〜25km:14:48
30km – 1:27:38(2:03:15ペース)25〜30km:14:20
35km – 1:42:16(2:03:17ペース)30〜35km:14:38
40km – 1:57:15(2:03:41ペース)35〜40km:14:59
42.195km – 2:03:38(61:43 – 61:5540〜42.195km:6:23

上でも述べたように、マカウにはその素質があったので、優勝した事はそんなに大きく驚く事ではなかった。2:04:48という自己記録を更新し、ベルリンマラソン2連覇も達成した。また、ハーフマラソンの自己記録は58:52を持っている。マカウは、ペースメーカーを務め、2:07:55の2位でゴールしたステファン・チェムラニが離れてからは、レースの後半をほぼ1人で走ったのであった。

【2011年ベルリンマラソン:2:03:38レース動画】

【世界記録その6】2013年9月23日:ウィルソン・キプサング(ケニア)2:03:23

2013年のベルリンマラソンの戦前、3人の選手の戦いに我々は興奮していた。2012年最強のマラソンランナー、ウィルソン・キプサング、2003年パリ世界選手権5000m王者、エリウド・キプチョゲ、新星のジョフリー・カムウォロル。そして、この3人の選手がワンツースリーでフィニッシュした。2位はキプチョゲで2:04:05(自身2回目のマラソン)、3位はカムウォロルで2:06:26(自身3回目のマラソン)だった。

この世界新記録も、ポジティブラップ(61:32 – 61:51)で達成された記録である。中間地点〜35kmまでのペースが、かなり落ちた。35km通過は1:42:36で、2:03:42ペースだ。マカウの時と比べると、中間地点通過は11秒速かったが、35km地点通過は20秒も遅くなっていた。しかし、35km地点で最後のペースメーカーが抜けると、キプサングはペースを上げて、次の1kmでキプチョゲカムウォロルを離した。

当時30歳のキプサングは、2:03:42の自己記録を持っていて、2012年ロンドンマラソンで優勝し(2:04:44)、その後のロンドンオリンピックで3位に入り(2:09:37)、そしてニューヨークシティマラソンがハリケーンで中止になった後の、ホノルルマラソンに急遽出場する事になって、2:12:31で優勝している。

キプサングは35〜40kmを14:36で走って40km地点を1:57:12で通過し、マカウの時よりも3秒速かった。残り2.195kmも6:11でラストスパートを決めて、マカウよりも12秒も速く走った。

【2013年ベルリンマラソン:2:03:23レース動画】

【世界記録その7】2014年9月28日:デニス・キメット(ケニア)2:02:57 – 2:03の壁を破る

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2014年、デニス・キメットは、前年のベルリンで世界新記録で優勝したキプサングがニューヨークシティマラソンに出場するために、ベルリンマラソンを見送ったその年に、キプサングの持つ世界記録を塗り替えた。そのため、キプサングの世界記録は1年も、もたなかった。

(※キプサングは2014年のニューヨークシティマラソンを優勝、その年の初めのロンドンマラソンでも優勝している)

レース前に、キメット“世界新記録を出したい”と、明言していた。彼は、シカゴマラソンの前回王者だったにも関わらず、その年のシカゴマラソンには出なかった。2013年のシカゴマラソンで2:03:45という大会記録を打ち立て、その記録は公認大会(つまり、ボストンマラソンを除いて)では3番目に速い記録だった。キメットはベルリンのレース前に、

「天気が良ければ、世界新記録で走れると自分を信じている」

と語り、前半を61:30~61:40で走る予定だと明かしていたが、 キメットはネガティブスプリット(61:45 – 61:12)で走った。ベルリンでの7回の男子マラソンの世界記録のうち、5回の世界記録はネガティブスプリットによるものとなった。 キメットの後半は素晴らしい走りだった。

後半を61:12で走って世界新記録を出す過程で、彼は強力なライバル達(2位のエマニュエル・ムタイも元の世界記録よりも速いタイムでゴール)を次々とふるい落としていった。そして、3年前にジョフリー・ムタイがボストンマラソンで出した、非公認記録の2:03:02を破って、公認 / 非公認を含めた最高タイムでの世界新記録を出した。 以下が、当時の記事で我々が彼の後半の素晴らしい走りを解説した記事だ。

25km地点、先頭集団にはまだペーサーがいて、3人の優勝候補であるキメット、ムタイ、ジョフリー・カムウォロル、加えてケニアのフランクリン・チェプケウォニ(その年のボストンマラソン3位)、エチオピアのアベラ・クマ(2011年大邱世界選手権5000mと10000mで5位)の計5人がいた。 ペーサーがまだ前方を走っていたので、この5人の選手は30kmに向かって集団で走っていた。

30kmでペーサーが抜けると、エマニュエル・ムタイが歴史的な世界新記録へ向けてペースを上げ、その差を広げ、キメットの後方で集団がばらけ始める。カムウォロルキメットだけが、ムタイに反応できた。世界新記録を出すには、1km平均2:55ペースで走らないといけなかった。ペーサーがいなくなり、ムタイがペースを上げるなかで、この日のレースで初めて1km2:50を切って走っていた。

31km2:47、次が2:46ムタイが最初に動いたが、キメットカムウォロルを後ろに続いていた。3人の選手はみんな世界新記録ペースだった。もし彼らが一緒に走っていなかったら、世界記録の更新は出来ていなかっただろう。 1km2:52ペースで走った後(まだ世界新記録ペース)、ペースはもう1度上がり、34kmは2:48カムウォロルには速すぎたペースで、彼は後退する。

35km地点キメットムタイが歴史的勝利を目指して、2人だけの争いになっていた。残り4.5マイル、2:03:00を切るのは現実味を帯びてきた。38km地点までキメットムタイは並走するも、キメットが少しずつムタイとの差を広げ始めた。40kmまでで、その差は7秒まで広がっていた。この時点で、世界新記録が出ることは、確実となった。問題は“キメットは2:03:00を切れるだろうか?”という事だ。

彼の40kmのラップタイムは3:00、レース全体を見ても3:00を超えた事は3回しかなかった。3:00を切るために、キメットはゴールまでの残りを1km平均2:58で走る必要があった。ムタイキメットの後を追って、2:03:13の2位でフィニッシュ、前回の世界新記録を上回った。キメット41km地点でペースを2:57に上げて、続く42kmでは2:55、そして2:02:57の世界記録でゴールした。

【2014年ベルリンマラソン:2:02:57レース動画】

結論:ベルリンは男子マラソンの世界記録を生み出す場所

ベルリンマラソンでの過去7回の世界記録更新は、それぞれが内容の異なるレースであった。接戦のレース、圧勝をみせる圧倒的なレース、ネガティブラップのレースが5回、ポジティブラップのレースが2回。その全てのレースに共通する事が1つだけあるとすれば、それらは全てベルリンで達成された記録であるという事だ。

ベルリンマラソンでの男子マラソン世界記録の変遷 ※太字 = ネガティブラップ
記録 選手 前半のハーフ 後半のハーフ 2位との差
1998年 2:06:05 ダ・コスタ 64:42 61:23 1分21秒差
2003年 2:04:55 テルガト 63:04 61:51 1秒差
2007年 2:04:26 ゲブレセラシエ 62:29 61:57 2分25秒差
2008年 2:03:59 ゲブレセラシエ 62:03 61:56 1分37秒差
2011年 2:03:38 マカウ 61:43 61:55 4分17秒差
2013年 2:03:23 キプサング 61:32 61:51 42秒差
2014年 2:02:57 キメット 61:45 61:12 16秒差

 

レッツラン記事

http://www.letsrun.com/news/2017/09/world-record-history-look-back-mens-marathon-world-records-set-berlin/

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2017ベルリンマラソン:キプチョゲ (2:03:32) が初マラソンのグエ・アドラ (2:03:46)を抑えて優勝 – 世界記録への挑戦は次回に持ち越された

 

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世界記録の歴史:ベルリンで記録された男子マラソンの世界記録を振り返る」への1件のフィードバック

  1. ピンバック: エリウド・キプチョゲが世界記録をEliud Kipchoge Is Chasing the World Record In Berlin (Again). Whether He Gets It Or Not Is Out Of His Control – LetsRun.com Japan

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