世紀の1戦を振り返る:18歳のエリウド・キプチョゲがケネニサ・ベケレとヒシャム・エルゲルージを破った2003年パリ世界選手権5000m決勝

日曜日に開催されるBMWベルリンマラソンで、ケネニサ・ベケレエリウド・キプチョゲの直接対決が実現される。この2人のレジェンドが対決するのはこれで23回目。過去に、これほどまで興奮する対決はなかった。ベケレキプチョゲ、そしてケニアのスター、ウィルソン・キプサングの3人が、世界記録に向けて同じレースを走るのだ。

今週は、このベルリンマラソンの展望に多くの時間を割いているが、ベケレキプチョゲがドイツの首都ベルリンで再会を果たす前に、もっとも初期の、そして最高の戦い、2003年パリで開催された世界選手権男子5000m決勝のレースを振り返ってみる。これは、長らく我々がやりたかったことである。

LetsRun.comは2000年あたりから開始したが、それ以前にも多くの素晴らしいレースがあった。もしくは、このサイトが始まったばかりの頃は世界中で行われる主要大会を網羅できていなかった。トラックシーズンが終わった今、“伝統的で一流の”レースを、時間を見つけて紹介していきたい。我々に書いてほしいレースがあれば、メールをください。

世界選手権の大舞台

当時は誰も知る由も無かったが、歴史上最も有名となる3人の選手が、パリ北部のStade de Franceで開催された2003年パリ世界選手権の5000mで対決した。

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1人目はエチオピアのケネニサ・ベケレ。2003年当時、ベケレは21歳、既にクロスカントリーでは非凡な才能を見せていたが、トラックではまだ名を世界に知られていなかった。2003年の初め、ベケレの5000mの自己ベストは13:13、トラックの10000mは1度も走ったことがなかった。しかし、2003年3月に開催された世界クロスカントリー選手権ショートの部、ロングの部で優勝すると(5年連続2連覇の2年目の年)、ベケレはどの場所で走っても好記録を残すようになった。

6月1日のヘンゲロ、彼は初めての10000mで26:53.70の記録を出し、27:00を切った14人目の選手となった。もっと重要なのは、ベケレがこの時、誰に勝ったかということだ。ヘンゲロでの2位は、ハイレ・ゲブレセラシエ(26:54.58)だったのだ。当時の世界記録保持者であり、オリンピックで2回金メダルを獲得し、そして当時、間違いなく歴史上最も偉大な10000m選手だった、ハイレに勝ったのだ。

 

その3週間後のオスロで、ベケレは5000mを12:52.26で走り、5000mで世界歴代10傑に入った(このレースでキプチョゲが12:52.61で3位、4人の選手が12:53を切ったレースだった)。2003年パリ世界選手権の最初の日曜日に行われた10000m決勝で、ベケレ26:49.57という世界選手権での大会記録を樹立し、トラックで初のタイトルを手に入れた。このレース自体、ベケレゲブレセラシエ、2人の一騎打ちとなり(2位のゲブレセラシエは26:50.77)、歴史に残る素晴らしいレースだった。ベケレは後半5000mを12:57という有り得ない速さで走ったのだ。

その1週間後の8月31日(8月28日の5000m予選の後)、瞬く間に希望の星となったベケレは、世界選手権で5000mと10000mで初の2連覇を目指して、トラックへと戻ってきた。

(※世界選手権においてはゲブレセラシエだけが、かつて2連覇をしようと試みた。それは1993年、彼が5000mで銀メダルを獲得した時だ。1993年、1995年、1997年の世界選手権では10000mは予選があった

パリ世界選手権で2連覇を狙っていた2人目の選手は、この時にはもうすでに名を世に知らしめていた。モロッコのヒシャム・エルゲルージである。1500mとマイルの世界記録保持者であった当時28歳のエルゲルージは、過去7年間ほぼ無敗に近い状態だった。All-Athleticsによると、1996〜2002年の間にエルゲルージは3レースのみでしか負けていなかった。彼にとって残念な事に、その負けのうち2つはオリンピックの決勝であった。

(※1996年アトランタでは転倒してしまい、2000年シドニーではノア・ンゲニに次いで2位だった)

しかし、2003年になると1500mでは4連勝をして大本命になり、過去2年間でどの距離の種目においても負けていなかった。彼は1500mをすでに支配していたが、2003年に彼にとっては新たな種目5000mも手中に収めようとしていた。6月12日のオストラバ、11年ぶりに5000mをトラックで走ったエルゲルージは、12:50.24の記録をたたき出し、世界歴代7位の記録(当時)を出した。

(※実際には彼はこのレースで12:48.81で走ったサイフ・サイード・シャヒーンに負けている)

エルゲルージは1番速い持ち記録で5000mのレースに出場し(シャヒーンは3000mSCのみに出場)、8月27日パリで世界選手権の1500mタイトルを獲得した後、4日後に控えた5000m決勝の為にトラックに戻ってきた(5000m予選は、1500m決勝の次の日だった)。ベケレのように、エルゲルージもまた世界選手権で1500mと5000mでの2連覇を目指していた。

ベケレエルゲルージ、完璧な組み合わせだった。2人の世界王者が、同じ種目で、これまで誰も成し遂げられなかった偉業を、成し遂げようとしていた。それは、力とスピードの真っ向勝負だった。現スター選手と、次世代のスター選手候補の戦いだった。

しかし、結局このレースで勝ったのは、この2人ではなかった。

戦前の予想では、番狂わせをする選手は、23歳のケニア人選手アブラハム・チェビイと考えられていた。世界選手権の前に、チェビイはプリクラシック、パリ、ローマ、ケニア選手権の5000mで優勝していた。彼の自己記録は12:52.99ベケレより0.73秒だけ遅いタイムだ。そして、世界選手権の7週間前のローマで、チェビイベケレに勝っていた。

今では間違いなく偉大なマラソナーであるエリウド・キプチョゲだが、この時は※18歳の彼を誰も注目している人はほとんどいなかった。キプチョゲは当時からずば抜けた才能があった。3月の世界クロスカントリー選手権ジュニアの部で優勝し、6月に5000mを12:52.61で走り、世界ジュニア記録を樹立した。

 

(※キプチョゲのプロフィールに記載されている生年月日は1984年11月5日生まれ、2003年パリ世界選手権当時は18歳だった。しかし、陸上界の多くの人は、キプチョゲもう少し年を取っていると考えている。2003年初めに彼と話したとき、キプチョゲは19歳と言っていた。しかし、彼の本当の年齢は未だに謎である)

しかしその年、キプチョゲベケレに1度負けていたし(オスロで対決していた)、世界選手権に出場してケニア人の中でもトップではなかった。世界選手権前の3つのレースで2回キプチョゲに勝っていたのがチェビイであり、そのうちの1つのケニア選手権ではサミー・キプケテルの0.2秒前でゴールして3位に入り、かろうじて代表入りしたのだ。

世界選手権の3週間前に行われたストックホルム・DNガランで、キプチョゲは5000mで優勝したが、ベケレエルゲルージと違って、パリに戻ってくるつもりではいなかった。彼の成績を見れば、キプチョゲにもメダルの可能性はあったかもしれないが、キプチョゲを金メダル候補に挙げる人はいなかった。

白熱のレース

ベケレは、戦う相手が1500m3:26の世界記録のタイムの持ち主であるエルゲルージであると知っていたので、スタートと同時に速いペースに持ち込んだ。400m通過が60.53、800m通過が2:01.09(5000m12:36ペース)ベケレは最初の2マイル(3200m)をほぼ、2mほどのリードを保ちながら走っていた。

しかし、翌年に12:37の世界記録を出したベケレでさえも、世界選手権の8日間で3回目のレースであった決勝でそのペースを維持することが出来なかった。次の800mはペースを落とし、1600m通過が4:05.38だった。次の1マイルは、さらにペースが落ちた。

キプチョゲは実際にはベケレからリードを奪っており、先頭集団は8人に絞られ、3200mを過ぎたところで(8:18.26、この時もまだ12:58ペース)キプチョゲ、ベケレ、エルゲルージが1、2、3位の順で走っていた。

しかし、キプチョゲは長く先頭を走ろうとはしなかった。次の1周が終わると、キプチョゲは、前に出るようにベケレにサインを送り、キプチョゲが、64.79というスローになったこの1周の後に、ベケレが3600m地点で前に出た。

ベケレも同様にこの時点で前を引っ張りたがらなかったが、レースが残り3周に入ると、彼は2レーンを走り始め、中を走るエルゲルージの様子を見るようになる。3900m地点のある一瞬、キプチョゲが再度先頭に立つ前、エルゲルージ、ベケレ、キプチョゲの3人が先頭を並走する場面があった。そして、もう1度、4000mを通過する時のラップが65.41というこのレースでは1番遅いラップで走り、10:28.46で4000mを通過した。

ついにエルゲルージがしびれを切らして、残り850mで先頭に出て、7人の集団は縦長になった。ベケレエルゲルージに続き、キプチョゲ、チェビー、ジョン・キボウェン、前回チャンピオンのリチャード・リモの4人のケニア人選手がその後ろを大挙していた。エルゲルージは4000mから4400mの1周を60.19で走り、ラスト1周の鐘が鳴った時もまだ先頭を守っていた(11:59.27)。

残り450m地点ではキプチョゲは4番手を走っていたが、3番手で1レーンの外側を走っていたチェビイにポケットされると感じ取って、外に膨らみ、外側に位置取りを変え、鐘が鳴った時にはエルゲルージの斜め後ろを走っていた。キプチョゲベケレを抜かし2番手に上がっていた。

エルゲルージはバックストレッチで本格的なラストスパートに入る。キプチョゲベケレは2番手と3番手で、後方を引き離していたが、エルゲルージは最終コーナーに入ったところでも、キプチョゲから3mほど前方を走っていた。コーナーを曲がっている時もその差は埋まらなかったが、ホームストレッチに近づくとキプチョゲがその差を徐々に縮めてきた。

そしてキプチョゲは、またエルゲルージの斜め後ろにまで迫った。ベケレもその動きに反応を見せ、3選手はコーナーを広がる形でホームストレッチに入ってくる。その数m後ろの内側には、キボウェンが銅メダル獲得へ向けて少し遅れてスパートをかける。

3人にレジェンド、1人は当時のレジェンド、2人は未来のレジェンド、その3人がラスト50mを競っていた。エルゲルージが1レーン、キプチョゲは2レーン、ベケレが少し離れて3レーン。頭を激しく振りながら走るキプチョゲと、最強の中距離選手エルゲルージの一騎打ちとなった。ゴールに近づくにつれ、キプチョゲエルゲルージの走る内側に少し寄せて、両選手は1レーンで激しく競り合った。

キプチョゲエルゲルージにプレッシャーをかけていた。エルゲルージはシドニーオリンピックの1500m決勝以降、レースでプレッシャーをかけられた事などなかったはずだ。そのレースのように、この若きケニア人選手にどう対応していいか答えを見つけられず、キプチョゲがリードしていくのを阻止する事が出来なかった。

エルゲルージは力尽きてしまった。ゴールから5m手前、エルゲルージはフォームを崩し、どうしようもなくなり前傾になりゴールに飛び込んだ。それより僅か先に、キプチョゲが頭をゴールに突出し、12:52.79のタイムで優勝をさらった。2位だったエルゲルージより0.04速いタイムだった。ラスト1周のラップは53.4だった。

ベケレは12:53.12でゴール。銅メダルとしてはかなり良いタイムだった。トップ6の選手が13:00を切ったのだから。レース動画と結果は下記に記す。結果をもう少し分析してみよう。

※レース動画

【レース結果】

順位 名前 国籍 生まれ年 記録 スコア  備考
1. エリウド・キプチョゲ ケニア 1984 12:52.79 1253 大会記録
2. ヒシャム・エルゲルージ モロッコ 1974 12:52.83 1253
3. ケネニサ・ベケレ エチオピア 1982 12:53.12 1252
4. ジョン・キボウェン ケニア 1969 12:54.07 1248 自己新記録
5. アブラハム・チェビー ケニア 1979 12:57.74 1235
6. ゲブレグジャベル・ゲブレマリアム エチオピア 1984 12:58.08 1234 自己新記録
7. リチャード・リモ ケニア 1980 13:01.13 1223
8. ゼルセナイ・タデッセ エリトリア 1982 13:05.57 1207 自己新記録
9. Juan Carlos DE LA OSSA スペイン 1976 13:21.04 1152
10. Abderrahim GOUMRI モロッコ 1976 13:23.67 1143
11. Abiyote ABATE エチオピア 1980 13:23.81 1142
12. Alejandro SUÁREZ メキシコ 1980 13:24.51 1140
13. Christian BELZ スイス 1974 13:26.02 1135
14. Moukhled AL OUTAIBI サウジアラビア 1976 13:38.92 1090
15. Jorge TORRES アメリカ 1980 13:43.37 1075

あのレースから14年後…

キプチョゲベケレがまだ第一線で活躍しているという事実は、驚くべき事である。キプチョゲベケレは、何年間もの間、素晴らしい成績を残してきたが、1番素晴らしい点は、競技のキャリアが長い事である。もちろん、ベケレであったとしても故障に苦しみ良い成績が残せたなかった時期もある。

しかし、キプチョゲベケレが戦ったあの伝説のレースから14年後、再び2人がマラソンという舞台で激突するという事実。多くのファンが興奮してやまない。エルゲルージは、翌年のオリンピックで優勝したが、30歳を目前にして競技から引退した。キプチョゲ(2017年秋の時点で、公式発表年齢32歳より年上だと我々は疑っているのだが)とベケレは、30歳半ばに差し掛かっているが、いまだに強い。

世界選手権決勝で、6人の選手が13:00を切ってくるレースは、次は一体いつ見れるだろうか。

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今日まで、キプチョゲ12:52.79という記録は世界選手権だけではなく、どの選手権(オリンピック、◯◯選手権、コモンウェルス・ゲームズなど)においてでも最高記録として残っている。それに加え、他の国際大会で、同じレースにおいて6人もの選手が13:00を切ってゴールした大会は他にはない。2017年は、5000mの12分台はたった3人しかいなかった。なぜ、2003年のパリ世界選手権はあんなにも速かったのだろうか。考えられる可能性は次の通りである。

(1) 選手層が厚かった

2017年ロンドン世界選手権決勝に出場した選手の中で、13:00を切ったことのある選手は4人しかいなかった。2003年パリ世界選手権は、その年に13:00を切った選手が5人、その中の4人は12:53のタイムをも切っていた。しかし、それだけでは、速いレースになるという確証はない。2012年のロンドンオリンピックの5000m決勝では、その年に13:00を切った選手が7人いて、優勝タイムが13:41だった。しかし、誰かが前方でペースを上げれば、多くの選手がその速いペースについていくという事は言える。

(2) ハイペースに持ち込む理由がある

このレースでベケレが最初の2マイルのペースを上げたように、誰かがペースを引き上げると、毎回、世界選手権の決勝では誰かが13:00を切ってくる。しかし、普通はレースで1番速い選手が、1番のラストスパートを持っている。だから、同等の力の選手がいない限り、集団をリードして優勝出来る力があると信じている選手がいない限り、13:00を切るレースにはならないだろう。しかし、このレースの場合、ベケレは自分自身が優勝候補である事を知っていたし、エルゲルージを倒す1番の可能性は、ハイペースに持ち込む事が有効である事も理解していた。それゆえ、最初の1600mが4:05だったのだ。

(3) EPO…

ここで誰かを名指しするわけではないが、知見のある陸上ファンの見解では、高速レースになった理由として考えられるものとして“EPO”の存在を見過ごしてはいけない。事実として、EPOは1990年代後半〜2000年代にかけて蔓延した。EPOを摂取すると速く走れる。

2003年当時のEPO検査は、現在の検査より厳しくなかった。それらを総合的に考えると、このレースに出場した選手の中で1人か2人はEPOを使っていたかもしれない。※“上げ潮はすべての船を持ち上げる”ように、もし数名の選手がEPOのお陰で強くなっていたとしたら、全ての選手にもその強さが波及するのである。

(※経済などで良く使われる比喩=経済や金融が好調だと、全ての人に利益がまわる)

レース中の位置取りの重要性として、ラスト1周の鐘がなる直前と直後に、キプチョゲが何をしたか気づいただろうか。彼は、2つのとても重要な動きをした。まず第1に、ホームストレッチに向かう途中、キプチョゲは1レーン内側にいて、チェビーが前方右側に位置していた。この後チェビーを追い抜かすことを見越して、キプチョゲは外側に移動しホームストレッチでチェビーを抜かした。

コーナーを内側で周らない限り、誰かを抜かすというのは余分に距離を走らないといけない(ここでキプチョゲがしたようにストレートで横に移動するにも、コーナーの外側を回るにせよ)。しかし、1周53秒で走っている時よりも、60秒で走っている時の方が、もちろん抜かしやすいし、ペースが遅ければ前を走る選手にそんなにリードを許さずにも済む。だから、キプチョゲは、後ではなく、“今”チェビーを抜くという英断をここで下し、ラスト1周でかなり追い込んだチェビイの後ろで詰まってしまうことを回避したのだ。

また、キプチョゲの最後の動きも素晴らしかった。ベケレの後ろ3番手でラスト1周をむかえる事が出来たが、鐘が鳴った時でさえも、ベケレと並んでいた。しかし、キプチョゲは2位に浮上するためにさらに動きをあげ、エルゲルージの外側後方に位置取りをしたのだ。キプチョゲは、エルゲルージより長い距離を走りながらも差を詰め(キプチョゲはまだ1レーンにいたが)、さらに最後300mのラスト勝負になった時にスパートするには、ベケレよりもいい位置にポジショニングしていた。キプチョゲのこの動きが、最終的なエルゲルージとの0.04の差を生み出したのかもしれない。

この後、エルゲルージに2000年オリンピックでの悪夢が蘇った

この2つのレースのゴールシーンを見てみよう。基本的には同じだ。キプチョゲノア・ンゲニ(番狂わせをした若いケニアの選手)と同じ存在だ。ベケレベルナルド・ラガト(トラックで初の国際大会を戦った将来の有望選手)だ。両レースの最後100mを見比べていただきたい。

【レース動画↓↓】

2000年シドニーオリンピック

2003年パリ世界選手権

史上最高の選手は、エリウド・キプチョゲかケネニサ・ベケレか?

キプチョゲベケレは、これまで24回対戦(※2018年8月現在)し、15勝9敗ベケレが勝ち越している。その24レースの詳細は下記の通りだ。

【トラック】

日付 場所 種目 ベケレ キプチョゲ
6/27/2003 オスロ 5,000m 1位, 12:52.26 3位, 12:52.61
8/31/2003 パリ(世界選手権) 5,000m 3位, 12:53.12 1位, 12:52.79
8/28/2004 アテネ(オリンピック) 5,000m 2位, 13:14.59 3位, 13:15.10
3/12/2006 モスクワ(世界室内選手権) 3,000m 1位, 7:39.32 3位, 7:42.58
7/14/2006 ローマ 5,000m 1位, 12:51.44 6位, 12:54.94
7/28/2006 ロンドン 5,000m 2位, 13:00.04 4位, 13:01.74
8/18/2006 チューリッヒ 5,000m 1位, 12:48.25 3位, 12:57.69
8/25/2006 ブリュッセル 5,000m 1位, 12:48.09 2位, 13:01.88
8/23/2008 北京(オリンピック) 5,000m 1位, 12:57.82 2位, 13:02.80
8/23/2009 ベルリン(世界選手権) 5,000m 1位, 13:17.09 5位, 13:18.95
9/12/2009 Thessaloniki 3,000m 1位, 8:03.79 9位, 8:07.26
9/16/2011 ブリュッセル 10,000m 1位, 26:43.16 5位, 26:53.27
5/11/2012 ドーハ 3,000m 7位, 7:40.00 2位, 7:31.40
7/6/2012 パリ 5,000m 9位, 12:55.79 8位, 12:55.34
勝利数 11 3

【ロード】

日付 場所 種目 ベケレ キプチョゲ
10/12/2014 シカゴ マラソン 4位, 2:05:51 1位, 2:04:11
4/24/2016 ロンドン マラソン 3位, 2:06:36 1位, 2:03:05
勝利数 0 2

※ 2017年ベルリン、2018年ロンドンで優勝したキプチョゲベケレはそれぞれ敗れた = ロードはキプチョゲの4戦4勝

 

【クロスカントリー】

日付 場所 種目 ベケレ キプチョゲ
3/21/2004 ブリュッセル(世界クロスカントリー) 12,000m 1位, 35:52 4位, 36:34
3/20/2005 Saint-Galmier(世界クロスカントリー) 12,000m 1位, 35:06 5位, 35:37
1/13/2007 エディンバラ 9,300m 1位, 28:14 3位, 28:51
1/12/2008 エディンバラ 9,300m 1位, 27:42 3位, 27:43
1/9/2010 エディンバラ 9,000m 4位, 29:17 3位, 29:04
1/7/2012 エディンバラ 3,000m 11位, 9:42 3位, 9:26
勝利数 4勝 2
  • トラック:ベケレ11勝 キプチョゲ3勝
  • マラソン:キプチョゲ4勝 ベケレ0勝
  • クロカン:ベケレ4勝 キプチョゲ2勝
  • 合計:ベケレ15勝 キプチョゲ9勝

 

レッツラン記事

http://www.letsrun.com/news/2017/09/lrc-classics-eliud-kipchoge-takes-kenenisa-bekele-el-guerrouj-2003-world-championships/

関連記事

2017ベルリンマラソン:キプチョゲ (2:03:32) が初マラソンのグエ・アドラ (2:03:46)を抑えて優勝 – 世界記録への挑戦は次回に持ち越された

ヨス・ヘルメンスからの忠告:“ベケレが自らに秘めるマラソンの可能性に気づいていたら、彼はもっとプロフェッショナルな選手にならないといけない”

2018ロンドンマラソン:男子はキプチョゲが2:04:17で優勝、女子はチェリヨットが世界歴代4位の2:18:31で優勝

 

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世紀の1戦を振り返る:18歳のエリウド・キプチョゲがケネニサ・ベケレとヒシャム・エルゲルージを破った2003年パリ世界選手権5000m決勝」への2件のフィードバック

  1. ピンバック: ケネニサ・ベケレ、エリウド・キプチョゲ、ウィルソン・キプサングへのベルリンマラソン3日前のインタビュー – LetsRun.com Japan

  2. ピンバック: 【マラソン界の生きる伝説】エリウド・キプチョゲ選手とはどんな選手? - オレ的スポーツニュース速報

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