先日行われたばかりのバーミンガムDL男子1マイルに出場するトーレンス (左)
アメリカとペルーの陸上界は、1人の有望な選手を失ってしまった。オリンピック選手のデイビッド・トーレンスは今朝、アリゾナ州スコッツデールのプールで亡くなっているのが発見された。31歳、早すぎる死。彼が犯罪に巻き込まれた形跡は、今のところ見つかっていない。
Embed from Getty Images大学時代のトーレンス (右)
トラック競技にて、デイビッドはキャル・バークレー (カリフォルニア大学バークレー校)で頭角を現し、その多才さで恐れを知らない選手として知られた。彼の自己記録は800m1:45.14、1500m3:33.23、1マイル3:52.01、5000m13:16.53だった。
Embed from Getty Images2009年全米室内選手権3000mで優勝
彼のキャリアで際立っていた実績としては、2009年の全米室内選手権3000m優勝、2014年室内1000m全米記録 (2:16.76、現全米記録)、世界記録の4×800mリレーの走者でもあり、去年のリオオリンピック5000m決勝15位など数々ある。
デイビッド・トーレンス、恐れを知らないロードランナー
トーレンスはロードでも数々の素晴らしい成功を収めている。2009年、2010年、2011年と3年連続で全米ロード1マイルで3連覇を達成している。デイビッドはホカ・オネオネ (Hoka One One)のプロ選手として有名になったが、2005年、彼が20歳の時に、彼はLetsRun.comの伝説となっている。
その年の10月 “夜にくだらない話をしていて” デイビッドはチームメイトと、とある賭けにでた。
「その年の終わりまでに、※1マイル4:00切りを達成する」
(※1マイル4:00切りは、アメリカの学生中距離ランナーのステータスの1つである。指導者は“1マイル4:00切りの学生中距離ランナーを何人育てたか”という実績の捉え方がある。日本でいえば “駅伝名門校の指導者が5000m13分台の選手を過去に何人輩出したか” というような物差しに近い)
もし彼がそれに成功すれば、チームメイトは裸で1マイルを走らなければならない。しかし、この賭けでは1マイルはトラックレースでなければならないと明言していなかったため、トーレンスは、この賭けに勝つために下り坂で1マイルを走るアイディアを思いついた。
そして彼は、カルフォルニア州のバークレーのバンクロフト・ウェイの下り坂を、朝の2時に3:46.3というとてもつもないタイムで走破した。
Embed from Getty Images2014年の世界リレー選手権ではアメリカチームの2走を務めた
トーレンスはその後、怖さ知らずの下り坂1マイルのそのスピードを、トラックレースでも見せつけた。2014年には世界リレー選手権で全米代表入りし、4×1500mの第2走者として出場した。そして、最初の800mはケニアのサイラス・キプラガト (1500mPB 3:27.64)とともに1:49.6で入り、ラスト200mに差し掛かるあたりでもトーレンスは3:31ペースを維持していた。その後、失速してしまったものの、ラップタイムの3:36はアメリカチームの中ではこの日一番のタイムだった。
ペルー代表としてのオリンピック。反ドーピングに対して発言
トーレンスは競技で良い成績を残していたものの、中距離のレベルの高い全米代表になるのは中々難しい状況であった。彼は2016年の6月に、母親の故郷であるペルーに国籍を変え、ペルー代表の選手として走ることを決意する。“ペルーの若い世代のアスリートを応援したい”という想いからだった。
「全米代表になっても、ならなくても、尊敬されるヒーローは他にもたくさんいる。でもペルーは、アスリートの数も限られている」
昨年、トーレンスはこのように語っていた。その後、トーレンスは早速ペルー記録を更新し、800m (1:47.01)、1500m (3:34.95)、1マイル (3:54.99)、5000m (13:23.20)数々のペルー記録保持者となった。
Embed from Getty Imagesリオオリンピック5000m
そして、リオオリンピックでは5000m決勝のファイナリストに、そして今月行われたロンドン世界選手権では1500m予選を、ペルー代表として出場していた。
トラック以外では、トーレンスは自由なスタイルで、様々なトレーニンググループとトレーニングを行い、最近ではアリゾナ州フェニックスのアルティスグループにも参加していた。
そのうちのトレーニンググループの1つが、女子1500mなどの世界記録保持者であるエチオピアのゲンゼベ・ディババや、ジブチのアヤンレ・スレイマンのコーチであるジャマ・アデンのトレーニンググループだった。彼がこのトレーニンググループを去ったのは、
「アデンが幾度となく“ビタミン注射”をするように圧力をかけてきたことが理由だ」
とトーレンスは語っていた。
反ドーピング機関が、アデンのトレーニンググループの調査を始めた際に、トーレンスは捜査機関にビタミン注射を勧められたことと、それを彼は断ったことを証言している。そして、トーレンスは、反ドーピング機関にアデンについての証言を行い、多くの情報提供をしたことを高く評価されていた。
※IAAFや反ドーピング機関から密偵されていたジャマ・アデンは、その後、スペインの滞在先のホテルで逮捕されている。
トーレンスは自分が思っていることを率直に発言することから、去年の夏に、とある議論の中心人物となっていた。多くの全米記録を持つバーナード・ラガトが41歳にして昨年の全米オリンピックトライアルの5000mで優勝した後に、トーレンスは、
「ラガトは、2003年にEPOの陽性 (Aサンプル)が出ていた」
と、You Tubeで発言したのである (しかし、Bサンプルが陰性反応だったことから、ラガトはドーピングと認められなかった)。
“You know what? I’m gonna say it. This is bull***t, man!”
“Lagat, positive A sample, you know what I mean? I swear to God, this is bull***t.”
このコメントでトーレンスは多くの批判を浴びたが、自分のコメントを擁護した。この発言をしたことで(ラガトの、その事実を黙認していた)多くのアスリートや仲間たちからトーレンスは感謝され、称賛された。
トーレンス (右) と同じくホカのプロ選手で同じ中距離ランナーのカイル・マーバーと
©2016 Jane Monti for Race Results Weekly
トーレンスの急死を受け、関係者らの反応
陸上関係者からは、トーレンスの急死を受けて多くの反応があった。彼の死は、本当に偲ばれる。我々レッツランとの関係において、彼がレースで勝っても負けても、トーレンスをインタビューすることは楽しかったし、彼はいつも機嫌良くフレンドリーで、前向きだった。
オリンピックの1500mで2回メダルを獲得したニュージランドのニック・ウィリスは次のようにツイートした。
「トーレンスよりも、走ることに対して全てを捧げた人はいなかった。彼は毎日100%を出していた。彼が亡くなったと聞いて、本当に本当に悲しい」
トレーンスと同じくホカの中距離選手であるカイル・マーバーは、
「(9月6日に開催予定の)ホカオネオネ・ロングアイランドマイルは、後にトーレンスの名前にちなんだレース名にして欲しい」
という趣旨のツイートをした。
ブルックスのプロランナーで、2度のガンを克服してたくさんの人に勇気を与えたガブリエル・グランワルドは
「私が今までに会った人の中で最高の人間のひとり、彼がいなくなってとても寂しく思う」
と、ツイートした。
HOKA NAZ Eliteのプロ選手のステファニー・ブルースと夫のベン・ブルースは、1ヶ月前にトーレンスと一緒にいたが、彼の笑顔と笑い声をずっと忘れないだろう。
※その他にも、たくさんの選手やコーチがトーレンスについてツイートしている。
デイビッド・トーレンス選手のご冥福をお祈りします。
レッツラン記事
レッツラン – デイビッド・トーレンス急死に関する掲示板
http://www.letsrun.com/forum/flat_read.php?thread=8402529
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