ロンドン – 波乱は続く
イギリスのモー・ファラーは、先週金曜日の10000mで優勝し、世界選手権とオリンピックの5000m / 10000mの決勝において10連勝を狙い、今夜の5000m決勝に進出した。彼は地元ロンドンのトラックで、世界選手権とオリンピックの5大会連続の2冠 (5000m / 10000m)を達成することで、トラックでの華々しいキャリアを完結させることを目指していた。
しかし、波乱の結果の後には、波乱の結果がまた起こりうるこの世界選手権の舞台で、ファラーは、エチオピアのムクター・エドリスによる戦術的な5000mのラストスパートに屈した。
エドリスはラスト1周を52.3 (26.0+ラスト200m26.3)でカバーしてファラーを上回り、13:32.79のタイムで金メダルを獲得した。ファラーが、13:32.22で銀メダル、アメリカのポール・チェリモが13:32.30で銅メダルを獲得した – 彼は世界選手権 / オリンピックで2度目のメダルを手にした (リオでは銀メダル)。
Embed from Getty Imagesこれは、ロンドン世界選手権での予期せぬ波乱の続きだった。
①ウサイン・ボルトが男子100mで敗北
②トルコ人選手がファン・ニーケルクなどを破って男子200mで優勝
③アメリカ人選手が女子3000mSCでケニアとバーレーンの選手を撃破してワンツーフィニッシュ
④男子5000m決勝の直前に、女子100mH世界記録保持者のケンドラ・ハリソンがメダル圏外に敗れた
(⑤5000m決勝のあと、4×100mリレーでウサイン・ボルトがまさかの途中棄権)
Embed from Getty Imagesレース展開
最初の1周目を除いての最初の2000mは、究極に戦略的なレース展開となった。
チェリモは1周目を62.25で入り、他に誰かペースを引っ張る人がいないか様子を伺ったが、結局誰も前に出ず、2周目は70秒以上かかった。その後、4周連続で70秒以上かかり、1600mを4:35.25、2000mを5:48.05のスローペースで通過した。
2200mに入ったところで、今年5000mを12:55で走った17歳のセレモン・バレガが少しペースを上げた。2000mから3200mの3周のラップタイムは、64.82、66.26、64.31、3200m通過が9:03.45であった。
3000mの少し手前で、オーストラリアのパトリック・ティアナンが先頭に出たが、後方集団はそれにはついていかず、ティアナンが一時リードを広げる。3200m地点で後方の集団を6~7mリードしており、その後ティアナンは62.85でラップを刻み、差は12mまで広がっていた。しかし、後方集団はまだ反応しない。
残り2周になったところで、ティアナンはまだ5m以上リードしていたが、後方集団にダメージを与えるほどのスピードではなかった。後方集団は12人、ファラーが先頭。ティアナンの後ろを走っていた。
その後、ファラーと集団は200m、29.9のスピードでティアナンを追い抜き、ファラーが先頭に出る。この時点で、誰もが“このレースの結果を確信した”だろう。ファラーが先頭からレースをコントロールし、これまでのように、このレースでも勝つだろうと。
しかし、ラスト1周の鐘に近づくと、予想していなかった展開に。2016年の世界室内選手権3000mチャンピオンの、20歳のケジェルチャが外側からファラーを抜き、ファラーは先頭を奪われたのである。そして、ケジェルチャだけが、打倒ファラーを目論んでいる選手ではなかった。
エドリスもファラーを抜いていった。バックストレッチに差し掛かると、ケジェルチャとエドリスは、ファラーとの差を2~3mに広げ、その後ろには、遅れをとるバレガと、追い上げてくるチェリモがいた。
残り200m、優勝争いは4人に絞られていた。ケジェルチャとエドリスは、ファラーとチェリモに僅かばかりリードしていたが、ファラーとチェリモは最後の100mのスプリントに備えていた。最終コーナーを曲がると、もう誰が勝ってもおかしくないラスト勝負に持ち込まれた。
ファラーは、どうにかリードを奪おうとスパートするも、最終コーナーを曲がり終える所で前方2人のエチオピア人選手と、その横をチェリモに囲まれポケットされる形となってしまった。しかし、ケジェルチャがわずかに遅れ始め、ファラーにレーンを明け渡すかたちとなる。ファラーとチェリモは、ケジェルチャを抜かしたが、エドリスはすでにケジェルチャを追い抜かし優勝という栄光に向かって最後の力を振り絞っていた。
Embed from Getty Imagesエドリスが、地元ロンドンの絶対的王者から優勝をもぎ取った瞬間だった。エドリスは最後の4周 (1600m)を3:57.5で走った (63.7 – 62.4 – 58.1 – 52.3)。フィニッシュラインを少し越えると、エドリスはモボットをして自らの勝利を称えた。
ファラーは破れたが、フィニッシュラインを越えても走り続け、チェリモを振り切って銀メダルを獲得した。ファラーはすぐに膝まずき、その敗北にショックを受けていた。しかし、ウサイン・ボルトが100m決勝で破れた時と同じように、観客はファラーを賞賛した。
レースの分析とレース後の反応を以下にまとめる。
順位 | BIB | 選手 | 国籍 | 記録 |
---|---|---|---|---|
1 | 896 | ムクター・エドリス | ![]() |
13:32.79 |
2 | 954 | モハメド・ファラー | ![]() |
13:33.22 |
3 | 1382 | ポール・キプケモイ・チェリモ | ![]() |
13:33.30 |
4 | 899 | ヨミフ・ケジェルチャ | ![]() |
13:33.51 |
5 | 893 | セレモン・バレガ | ![]() |
13:35.34 |
6 | 749 | モハメド・アーメド | ![]() |
13:35.43 |
7 | 852 | アロン・キフレ | ![]() |
13:36.91 |
8 | 950 | アンドリュー・ブッチャート | ![]() |
13:38.73 |
9 | 758 | ジャスティン・ナイト | ![]() |
13:39.15 |
10 | 1076 | ケモイ・キャンベル | ![]() |
13:39.74 |
11 | 655 | パトリック・ティアナン | ![]() |
13:40.01 |
12 | 734 | ビラニ・バレウ | ![]() |
13:43.25 |
13 | 1147 | サイラス・ルット | ![]() |
13:48.64 |
14 | 850 | アウェット・ハブト | ![]() |
13:58.68 |
1402 | ライアン・ヒル | ![]() |
DNS |
ラップタイム
1000m 2:48.20 アンディ・ブッチャート (イギリス)
2000m 5:48.08 (2:59.88) モー・ファラー (イギリス)
3000m 8:32.93 (2:44.85) パトリック・ティアナン (オーストラリア)
4000m 11:09.67 (2:36.74) パトリック・ティアナン (オーストラリア)
ファラーは5000mで、どのようにして負けたのか?
誰もが知りたい疑問がこれだ。前回の記事で詳細を書いた。簡潔な答えはこれだ。“ケジェルチャを犠牲にしてエドリスが勝ちにくる”、それがエチオピア勢の戦略だとファラーは信じきっていた。エドリスは、それは違うと述べた。
周回 | ファラーのラップタイム |
1 | 62.25 |
2 | 70.58 |
3 | 71.52 |
4 | 70.90 |
5 | 72.80 |
6 | 64.82 |
7 | 66.26 |
8 | 64.32 |
9 | 62.85 |
10 | 63.34 |
11 | 62.57 |
12 | 54.24 |
ラスト1周 | 52.62 (26.28+26.34) ※エドリス=52.3 |
確かなことは、エドリスはラスト1周を52.3という、誰にも負けない速さで走り、それは、ファラーの調子がどんなに良くても、ファラーにさえも破ることができない(=ファラーにとって世界選手権やオリンピックでの過去最高の)ラスト1周のタイムだった。
1週間前のファラーは10000mで26:40を切り、5000mの自己ベストも狙える調子だった
会見でファラーは
「1週間前に調子を聞かれてたら“今の状態だったら10000mで26:40を切れるだろうし、5000mで自己ベスト (12:53)に近いタイムで走れる調子だ”と答えていたと思うよ」
と述べていた。
ポール・チェリモ “モーの後は俺が引き継ぐ” 5000m13:30台の選手だったチェリモは、モーのおかげで世界的な選手になれたと述べた
2年前の北京世界選手権が開かれたころ、ポール・チェリモの5000mの自己記録は13:37で、その年の全米選手権の5000mでは11位だった。当時、チェリモはArmy WCAP (Army World Class Athlete Program)に所属しており、チームはダン・ブラウンコーチの指導を仰ぐため拠点をオレゴン州ポートランドに移した。
ブラウン自身も、かつてアルベルト・サラザールのもとで選手としてトレーニングをしており、サラザールのコーチングを参考にしていた。ポートランド、そしてナイキ・キャンパス (ビーバートン)に拠点を置くメリットはもうひとつあった。チェリモは、そこでファラーを見て学び、彼と交流する機会を得たのだ。
「2年前の世界選手権の頃、自分の自己記録は13:30台だった。ポートランドでモーの近くでトレーニング出来たことは、本当に素晴らしい経験だった。ポートランドで一番最初に一緒に写真を撮ってもらったのが、モーだったんだ」
チェリモは昔を回顧した。チェリモは、ファラーを尊敬してやまないと何度も言った。
「モーをすごく尊敬している。彼にはもっとトラックに残ってほしい。彼のおかげで、今年自分はつらいトレーニングを続けてこられた。毎朝起きると、必ずモーのことを考えるんだ」
チェリモは、ファラーからバトンを引き継ぐ。
「ファラーの後は俺が引き継ぐ。彼を失望させる走りはしないよ。これからのレースは、すべてモーのために走るよ」
エドリスもチェリモもモボットをした。モボットの首を切ったのは、決してファラーへの不敬行為でない
エドリスが勝った後、彼はモボットで自らの勝利を称えた。スタートラインでは、チェリモはモボットの首を切る動作をした。
チェリモのこの行為は、報道陣の中でも批判的に見る人がいたが、エドリスもチェリモも、モーを尊敬しており、だからこそ自分の手で破ってみせたい、という尊敬の念が込められていることを伝えたかったという。
「首を切ったのは、モーのために自分は今日全力で走るという意思表示だった」
チェリモは、モーをいかに尊敬しているかということを述べる前に、そのように語った。
エドリスも以下のように述べた。
「“モーから勝利への執念を受け取った”ということを表現したかったんだ。彼への尊敬の念を伝えたかった」
レース序盤でチェリモに誰も付いていかなかったら、彼はそのままゴールへ向けてハイペースのレースを試みていたであろう
Embed from Getty Images選手権のレースは、スローペースになることが多い。チェリモもそれを予想していた。しかし、チェリモは全米選手権の時のようにレースを速いペースで引っ張れるのなら、勝てるかもしれないと感じていた。それもあり、彼は62.25で1周目を走っている。しかし、いつも大体後方にいるファラーが、チェリモの真後ろについていた。“今日は行かせてくれない”チェリモはそう感じて後方に下がり、ラストの競り合い – チェリモのラストスパートに賭けた。
皮肉なことに、去年のリオオリンピックで銀メダルを獲ったことが、チェリモにとって不利に働いてしまった。去年のリオオリンピックで、彼がもし(このように1周目から速いペースでとばしていくのと)同じ動きをしていたら、ファラーや他の選手はチェリモを先に行かせただろう。その頃はまだチェリモは全米選手権で3位の成績だったため、彼の記録はまだ他の選手を脅かすほどではなかった。しかし、今の彼は違う。チェリモが動けば、他の選手も反応する。
「多分、全米選手権 (チェリモが最初から単独走の独走で大会記録で優勝)のレース展開を見て、“この男を行かせてはダメだ”って思ったんだろう。オーストラリアのパトリック・ティアナンが前に出たとき、誰も着いていかなかったし、彼に先頭を走らせた。でも、それが他の誰か、例えばケジェルチャとかが先頭に立ったのだったら皆は警戒するだろう。今日は、自分には勝ち目がないと思われていたほうが、もっと自分にとって楽なレース展開だっただろう。僕が前に出ても、そのまま行かせてくれてただろうから」
パトリック・ティアナン “非現実的に思えると思うが、勝つために世界選手権に出場しているんだ。優勝を狙う以外に、ここに来る意味があるかい?”
Embed from Getty Imagesティアナンは残り2000mで先頭に出て、そこから集団を引っ張ったが、ラスト2周で後方集団に抜かされ、その後11位まで順位を落とした。ティアナンのような選手 (持ち記録も実績も超トップレベルでない)は世界選手権の決勝になると厳しい戦いを強いられる。ティアナンは間違いなく、世界トップレベルの選手であるが、13:13の自己記録でプリクラシック (ユージンDL)では優勝したファラーから13秒遅れてゴールしている。彼がこのレースで勝てるであろう可能性はゼロに等しかったが、彼の中には2つの選択肢があったはずだ。①できるだけいい順位を狙って走る。②可能性は少ないにせよ、そのわずかな可能性にかけて優勝を狙って走ること。
そして、彼が選んだのは後者だった。
「非現実的に思えると思うが、勝つために世界選手権に出場しているんだ。優勝を狙う以外に、ここに来る意味があるかい?」
ティアナンはプロ(ナイキ・オーストラリア)としての最初のシーズンをB評価と言っていたが、それは少し厳しいかもしれない。彼は世界のトップ選手に挑戦しているまっ只中だ。1週間前のロンドン世界選手権男子10000m決勝の順位は22位、と彼にとっては最悪な結果になってしまったが、今年の世界クロカン選手権では非アフリカ系でトップの13位と健闘した。
また、今シーズンに3000m(7:37)、5000m(13:13)、10000m(27:29)という自己記録を更新しており、去年のリオオリンピック男子5000mの予選では組13位に甘んじたが、今回のロンドン世界選手権では5000決勝にて11位でフィニッシュした。11位から表彰台までの差を埋めるためには、かなりの努力が必要だが、彼はまだ22歳。彼の未来は明るい。
モー・アーメドは、もっと調子をあげる必要がある
アーメドはこのロンドン世界選手権5000m決勝で6位という結果に後悔はしていないし、後悔するべきでもない。多くのライバル選手に彼は勝ったのだから。
「今日のレース結果については、落ち込んだりはしていない。コーチ(BTCのジェリー・シューマッハ)に言われた通りの走りができた。後悔はない。どの選手も素晴らしい選手ばかりで、彼らに負けたことは恥でもなんでもない。表彰台に上がるという野望は抱いていたから、表彰台に全く届かなかったことは少し悔しいけど」
アーメドは去年のリオオリンピックの5000mで4位、今回のロンドン世界選手権では10000mを8位、5000mを6位という結果で終えた。10000mを走り終わった後、この種目で戦うにはもっと距離を踏んだ練習が必要だと感じたようだが、今夜は5000mを走るには万全の調子で臨んだ。レースの終盤、メダル争いには入っていたものの、メダルには届かなかった。
「このレースで、自分にはまだ足りないことがあると気付かされたよ。トップギア(最後のラストスパート)だ」
アーメドはそう語った。
ジャスティン・ナイトは、ロンドン世界選手権を“学びの場”だと感じた。ここはまだ、彼のエリート選手としての始まりにすぎない
Embed from Getty ImagesNCAA(全米大学選手権の5000m)で3位になってから、ロンドン世界選手権の5000mで9位、カナダ人のジャスティン・ナイトは自身の任務を果たした。一般的に言って、NCAAの中長距離選手=アメリカの大学に在学する中長距離選手は世界選手権ではメダル争いに参戦できないが、先月21歳になったばかりのナイトは、アメリカ東部のシラキュース大学であと1年の学生生活を残し (8月末から4年生)、ロンドン世界選手権で9位に入るという素晴らしい結果を残した。NCAAシーズン中 8アメリカの大学陸上のシーズン中)の選手の中では、過去の世界選手権の5000mでは1番いい順位だった(もし違っていたら教えてください)。
しかし、ナイト自身も“若さ”を長い間、言い訳にできないことは、承知している。2019年の次の世界選手権までには、彼はプロ選手になっている予定で、その頃は先頭集団でレースを走っているだろう。
「前に出て行くことで、自分自身からもっと多くのことを引き出せると思う」
ナイトはそう述べた。
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