(過去記事)レッツラン共同創設者のウェルドン・ジョンソンが見た日本スタイルのトレーニング – 山梨学院大学の合宿を見て感じたこと

Training Japanese Style

by: Weldon Johnson

************************

レッツランの共同創設者である、ウェルドン・ジョンソン(10000m自己記録28:06)は、イェール大学の学生であった1990年代後半にアイビーリーグ選抜として出雲駅伝に出場し、日本を訪れた。その時のことをウェルドン・ジョンソン自身がレッツランで綴っているのが以下である。

teamphoto2

最近(当時 = 1990年代後半)、出雲駅伝(駅伝とはロードで行われるリレーであり、日本では非常に人気がある大学3大駅伝の一つである出雲駅伝は、2時間ほどにわたりテレビ放映される)に出場するために日本に行ってきた。

私のチームは、アイビーリーグの学生のチームであり、毎年この駅伝に招待される。監督は、1976年ボストンマラソン優勝経験のあるJack Fultzであった。

teamphoto

culturejapan

レースはとても素晴らしく、10日間の滞在もとてもいい時間であった。私にとって、日本は3回目であったが、これまでの旅の中でも特別なものとなった。レース後の4日間、日本の学生たちと交流を持てたからだ。

世界でも屈指の大学チームである山梨学院大学が、出雲駅伝の後に1週間の合宿をやっている富士山の近くまで出かけ、幸運なことに、山梨学院大学の選手たちと共にトレーニングし、彼らの強さの秘密を垣間見ることができた。

weldonjapan

知らない方のために、長距離種目や駅伝は、日本ではとても崇められている。山梨学院大学は、日本の大学長距離界では強豪校のひとつだ。今年(当時)の出雲駅伝では2位でフィニッシュし、間違いなく日本のトップの大学の1つである。

(※ 全く陸上に力を入れていない時期も過去にはあったが、上田 誠仁コーチ就任後1980年代のプログラムを取り入れ、その状況は一変した。上田監督就任前は山梨学院大学の陸上における評判はまったくなく、上田監督はその大学の名前さえも聞いたことがなかったという)

 

山梨学院大学の選手との交流でもっとも興味深かったのは、30km走(19マイル)であった。

 

その数日前、私たちは大学を訪れ、選手たちの凄まじく、1つの目標に向かう集中力を目の当たりにした。大学見学の最中、山梨学院は7つの優れたスポーツに力を注いでいると説明してくれた。

(※ 男子レスリング、男子長距離、柔道、女子フィールドホッケー、など。驚いたことに、その中には日本でもっとも人気のスポーツである野球とサッカーは含まれていなかったアメリカの大学が野球やフットボールチームを持っていないのを想像できるか?いや、それはありえないだろう)

山梨学院大学の選手のたゆまぬ努力は、結果にあらわれている。長距離選手のほかにも、レスリングチームも全日本チャンピオンになるほどだ。レスリングのチームの監督は、1992年~1996年にかけてのオリンピックでも監督をした人物だった。

 

山梨学院大学の陸上部のことを知ると、これからの30kmはキツイ練習になるだろうと感じ始めていた。陸上部というよりは、長距離チームと言った方が正しいであろう。部員は80名、80名全員が800m以上の種目の選手である。部員の大多数が、シーズン前は合宿で高地へ行き、シーズン中は1週間学校を休み、富士山近くの湖へ合宿に行く。これが、私たちが選手らと交流した合宿だ。

55名の部員がこの合宿に参加していた(そのうち6人だけが出雲駅伝を走った)。30km走が近づくにつれ、僕たちにはある種の恐れのようなものがあった。日本の学生がどれだけ真剣で優秀な選手であるかを知っていたから、自分たちの走りが恥ずかしいものになってしまうのではと考えていた。私にとって日本は3回目、毎年日本に来る度に日本のチームが強いチームであることに驚いていた(チームによっては部員80名を超えることは知らなかった)。

 

アメリカではスタンフォード大学やアーカンソー大学が(当時の)トップのチームであるといわれているが、長距離の駅伝となると、そのチームをもってしてでも日本のチームに勝てる自信はなかった。

レース後、バスに乗り東京から合宿所まで向かったが、上田監督と選手たちのトレーニングについて話した。日本人選手は長い距離を走るということは知っていたが、上田監督は選手の中には1週間で300km(185マイル)走る選手もいると言った。しかし、彼らのトレーニングの詳細を聞いた後、彼らは実際にはもっと走っているのではないかと思った。

出雲駅伝のレース は月曜日に行われた。火曜日に、私たちは移動したが、日本人選手は夕方1時間30分の軽いジョギングに行っていた(13マイルだ)。上田監督にとって「回復」が重要であり、だから水曜日も軽いジョギングを行った。

 

午前6時から1時間(遅いペースで8マイル)の軽いジョギングだ。午後には追加で数時間のランニングかウォーキング(8マイル)を取り入れる。夕方には、また1時間30分のランニング(少なくても13マイル)だ。一日3回すべて走ったとしたら、29マイル(46.67km)にもなる。

 

これが、速いペースでの30km走の前日の、回復日のメニューだった。

 

私にとって30km走のペースが、どれだけ速いのかが問題であった。私たちのグループは滅多にこんな長い距離は走らないし、唯一僕だけがマラソン選手であった(アイビーリーグの学生たちは湖2周(20km)でズルできるかもとも考えていた)。

上田監督はそんなに速いペースではいかないと言ってくれ、グループわけもされると言ってくれた。しかし、彼がキロ3分30秒ペースと言った気がして心配になったが、多分キロ3分40秒ペースであった。

30km走に向けて10時30分にバスから降りた。私たちはみんなバラバラのランパン、ランシャツを着ており、30km走が始まるまで各々、座って待っていた。次に見た光景に、私たちは驚いた。

 

山梨学院大学の選手たちは、30km走のウォーミングアップで湖一周(10km)をすでに走っており、汗だくになっていた。体をほぐすために“ながし”を行っている選手もいた。これは、いつものアメリカ人が行うロングランとは別物だ。最初の数マイルを本当にゆっくり入り、体が温まってからスピードを上げる、いつものロングランとは違うと感じとり、自分たちもウォーミングアップをしなければと思った。

 

短いウォーミングアップの後、スタートの時間になった。山梨学院大学の選手と比べると、私たちは、だらけたランナーのようであった。

山梨学院大学の選手は、みんなレース用のランシャツとランパン、レーシングシューズを履いていた(日本の選手がジョグシューズで走ってるのを見たことがない。彼らいつも道路を走るのにも関わらず、レーシングシューズを履いていた)。

私たちはチームらしく見えるように、シャツを脱ぐことにした。

 

上田監督は選手を4人一列に並ばせ、アイビーリーグの学生2人をランダムにレーンに並ばせた。上田監督は選手を招集し、選手は監督に向かい一礼をし、スタートの準備は整った。

各グループは時間差でスタートする。私たちは、どんなふうに始まるか分からなかった。私は第一グループにいた。スタートしてすぐ、日本のトレーニングとアメリカでのトレーニングは全然違うということが明らかになった。

最初は、10~13人の選手と一列で走っていたが、話しをしている選手は一人もいなかった。言語が違うので日本人選手とコミュニケーションはとれなかったが、彼らは完全に黙っていた。20kmになるまで一言も言葉を聞かなった。

 

歩道を歩いている人の脇を通り過ぎる時でさえ、左側から人が来るということを言う代わりに、ただ左側に腕を差し出し、また沈黙に戻っていくのだ。

私はその沈黙には耐えられなかったが、幸いにもブラウン大学のダン・レッサーが隣にいたので話すことができた。私たちは、この30km走がいかにすごいか、ということを話した。1マイル6分20秒ほどだったので、ペースはまずまずだった。

 

引っ張っている日本人選手は、まるでメトロノームのように走っていた。5kmのラップタイムの誤差は常に10秒以内に収まっていた。選手のラップタイムを測るために首に5つのストップウォッチを下げたチームマネージャーが、5kmごとに声をかけた。

もっと驚くべきことに、上田監督は湖の周りを車で走り、少なくとも2.5kmごとに車から降り選手の様子を観察していたのだ。普段、上田監督は、アメリカ人に対して“ハロー”ぐらいしか言わないが、この時は選手のフォームを指導したりしていた。

 

監督が頻繁にフォーム指導をしていたので、心地よい程度のペースで走っているのに監督は選手たちの何を観察しているのだろうと、私は不思議に思っていた。アメリカの大学では、監督はインターバルトレーニングの時にしか選手たちを見ない。

(※ NCAAの規定により、大学のコーチが指導できる時間が週に〜〜時間という規定があるため。そのようなことからコーチは必然的にポイント練習を見ることになり、距離走やジョギングを見ることは滅多にない。そもそもアメリカは大学時代に距離走をすること自体そこまで多くない)

一周10kmごとに給水を手渡してくれたり、この30km走は全体的によくオーガナイズされていた。2周目の終わりに近づくころ、調子も良くてもう一周いけると感じた。上田監督は20kmでいいと言ったが、調子がいい選手も多く、自分たちのエゴを傷つけたくなかった。3週目が始まるとすぐに、後ろから足音が聞こえてきた。

(※ 30km走が始まってすぐのころ、後ろから足音が聞こえたので振り向くと、それは実業団の富士通であった。日本の企業は実業団の駅伝レースで走るフルタイムの選手を抱えており、それも日本国内では人気がある。富士通は一列ではなくペアになって走っていた。動きは本当に速かった、おそらく1マイル5分ペースぐらいだ。10~12人の選手が、まるで自分たちがは立ち止まっているんじゃなかと錯覚するぐらいの速さで、追い越して行った)

 

今回聞いた足音は、時間差で後からスタートしたグループの選手たちのものであった。すぐに、その後ろのグループも、4番目のグループも、最後にスタートしたグループも追いついてしまった。グループは徐々に混ざり合い、ペースを上げ、ついていける選手は速いペースでいった。

この30km走の全体的なプランは、4つのグループでスタートし、一番遅いグループを先に行かせ(それを知らず走りだしたが、このグループで結果よかったと思う)、最初の20~25kmはほぼ一定のペースで走り、残り一周10km地点で各グループが合流する。そして、残り5kmは速いペースで走る。

スタート時間の差には意味があった。ひとつ前のグループに追いつくために、後ろからスタートしたグループは1マイル4秒速く走らなければならず、よって、一番速いグループは、一番遅いグループと比較すると1マイル12秒も速く走らなければならない計算になる。

 

これまで一列で走っていたグループは、ペースが上がると最後の5kmで崩れた。ただ幸運にも、前の晩に上田監督がもてなしてくれたアサヒビールと酒(上田監督は自分の選手たちには飲ませていなかったので、これは何かの陰謀だったのか?)は、そんなに影響してないようだった。

かすかではあるが、最後5kmになると少しずつペースは上がり続けていった。残り2マイル、私はドナルド・サリヴァン(アイルランド人でブラウン大学に通っていた)に調子がいいことを伝えた。しかし、フィニッシュするころには、もしもう少し長く走っていたら、怪我をしたり何かしらトラブルが起こっていただろうと、全員一致でそう感じた

幸運なことに、私たちは30kmしか走らなかった。経験したことすべてに学びがあり、楽しかった。長距離に向けられてる日本人のまじめさ、献身さを感じた。山梨学院大学出身の選手が去年のマラソンを2時間10分で走ったことは、何の驚きもなかった(おそらく1995年のびわ湖毎日マラソンで中村祐二選手が出した2時間10分49秒のこと。)

 

もっといい選手になるように、アメリカでも取り入れられるであろう多くのことを学んだ(日本人選手のように効率的に走るようにすること、それが一番の学びだった)。その後、私たちは富士山に行き温泉に入るという大切な観光があった。

私たちは日本人選手のことを少し心配になって、練習を後にした。信じられないかもしれないが、30km走の後の午後、彼らはまた別の練習で何時間も走らないといけないのだ。それと、言うのを忘れたが、彼らは明け方にも1時間ほど走っていたのだ。

fullteams


※追記(SUSHI MAN)

これは1990年代後半のストーリーである。アメリカで陸上をしている彼らにとっては衝撃的なことも多くあっただろう。2018年の現在となっては、日本でも距離信仰が少しずつ減ってきたので、大学の長距離チームが現在もこれほどの多くの距離を走っているのかは定かではない。

またアメリカ男子チームが2004年以降に、オリンピックでアテネ、リオとメダル獲得。マラソンにおいては、ケニア、エチオピア、日本という順番で世界の3大マラソン大国という事実は現在も変わらないが、アメリカの選手もオリンピックでは男女ともに健闘している。

 

以下に、アメリカと日本のマラソンに関する事実を“4つ”記載する。

 

① 日本人でのマラソンのサブテンは、日本記録保持者の設楽悠太(Honda)2:06:11から数えて“93人”がこれまで達成。マラソンの日本歴代93位は2018年8月現在、足立知弥(旭化成)の2:09:59である。2018年の東京マラソンでは“9人”もの日本人選手がサブテンを達成した。

 

アメリカ人のマラソンのサブテンは、17人がこれまで達成。この10年に限るとわずか“5人”しか達成していない(ラップ、ホール、リッツェンハイン、アブディラマン、ケフレジギ)。

 

③ このオリンピック4大会でのそれぞれの成績

【アテネオリンピック】

日本:油谷5位入賞, 諏訪6位入賞, 国近42位

アメリカ:ケフレジギ銀メダル, カルペッパー12位, ブラウン65位

【北京オリンピック】

日本:尾方13位, 佐藤76位, 大崎 欠場

アメリカ:リッツェンハイン9位, ホール10位, セル22位

【ロンドンオリンピック】

日本:中本6位入賞, 山本40位, 藤原45位

アメリカ:ケフレジギ4位入賞, アブディラマン途中棄権, ホール途中棄権

【リオオリンピック】

日本:佐々木16位, 石川36位, 北島94位

アメリカ:ラップ銅メダル, ワード6位入賞, ケフレジギ33位

※いずれもアメリカトップの選手が日本トップの選手の順位を上回った。

 

④ この10年でサブテンを記録したアメリカ人5人の実績

ラップ:10000m26:44.36(全米記録), ハーフ59:47(非公認記録), マラソン2:06:07

2012年ロンドンオリンピック10000m銀メダル、2016年リオオリンピック銅メダル、2017年ボストンマラソン2位、2017年シカゴマラソン優勝など

ホールハーフ59:43(全米記録), マラソン2:04:58(非公認記録), 2:06:17(公認記録)

2008年北京オリンピック:マラソン10位、2009年ボストンマラソン3位、2011年ボストンマラソン4位(2:04:58, 非公認記録)など

リッツェンハイ5000m12:56.27, ハーフ60:00, マラソン2:07:47

2001年世界クロカンジュニアの部:個人銅メダル、2008年北京オリンピック:マラソン9位、2009年世界ハーフ:個人銅メダルなど

アブディラマン10000m27:16.99, マラソン2:08:56

オリンピック出場4回(シドニー、アテネ、北京、ロンドン)、2016年ニューヨークシティマラソン3位など

ケフレジギ10000m27:13.98, マラソン2:08:37

オリンピック出場4回(シドニー、アテネ:マラソン銀メダル、ロンドン:マラソン4位、リオ)、2009年ニューヨークシティマラソン優勝、2014年ボストンマラソン優勝など

 

【5人の共通点】

・マラソンの自己記録が2:08:37より速く、かつ5000m12分台, 10000mサブ27:20, ハーフ59分台いずれかの記録を持っている

・WMMもしくは世界大会で3位以内に入っている

・いずれもアメリカでレジェンドと言われている選手

参考記事【マラソンでトップになるのは誰だ:2007年のライアン・ホールか?それとも2017年のゲーレン・ラップか?

 

この記事で書かれていたことは、日本の駅伝選手や、そのトレーニング方法についての驚きである。相対的にみて、日本人は伝統的にマラソンの人気、実力が共に高く、これまでにサブテンを多数輩出してきた。しかし、近年のオリンピックにおいては苦戦を強いられている。一方、アメリカ人選手の近年の特徴は“持ち記録以上に勝負強い”ということが挙げられる。

 

レッツラン記事

http://www.letsrun.com/japan.shtml

 

〈 TOP 〉

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中