(過去記事)伝説的アスリートであり、父親でもありコーチでもある、マット・セントロウィッツが 自叙伝を出版

(2017年1月のレッツランの過去記事)

http://www.letsrun.com/news/2017/01/legendary-athlete-father-coach-matt-centrowitz-just-published-autobiography-suggest-read/

 

(※一般的には息子をマシュー・セントロウィッツ・ジュニアと表記する場合があるが、この記事では父親をマット・セントロウィッツ、息子をマシュー・セントロウィッツと表記する。)

20168月、マシュー・セントロウィッツは、アメリカ人が108年間もの間成し遂げられなかった偉業を達成した。オリンピックの男子1500mで108年ぶりにアメリカ人の選手が金メダルを獲得した。

アメリカ陸上のファン、特に30歳以下のファンたちはおそらく知らないだろうが、マシューの父親である、マット・セントロウィッツは伝説的な陸上選手であった。彼は、ニューヨークの高校生として初めて2マイルで9分切りを達成し、1973年に出した1マイル4:02.7の記録は今でもニューヨーク州記録として残っている。彼は大学一年を終えた年にオレゴン州に移り住み、オレゴン大学でもっとも成功した選手の一人となったのである。選手としてのキャリアを終えるまでに、2度オリンピックに出場し、5000mでアメリカ記録(当時)を樹立した。その後、アメリカン大学でコーチを務め、すべて一からチームを築き上げ、全米大学クロスカントリー選手権への出場を果たすほど、大きな成功を収めた。

しかしそういったデータやプロフィールだけでは、その人柄が分からない。マット・セントロウィッツに会ったことがある者なら誰もが、彼が人格者であるということを知っている。しかし現代においては(特に30歳以下のファンたちは)、彼の話はほとんど語られてこなかった。マットは、自分の歩んできた人生、走ることについて、そして選手にとってコーチや父親の存在がいかに人生において大切な役割を担っているかを書いた自叙伝を出版したのである。

それが “Like Father, Like Son: My Story on Running, Coaching and Parenting”(「この父にしてこの子有り―走ること、コーチ、子育てについての私の話」(直訳))である。

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父のマット・セントロウィッツと一緒に走る息子のマシュー・セントロウィッツ

この本の触りを読んだとき、とても興奮した。

1990年後半、(筆者=レッツラン編集者のロバート・ジョンソンが)大学卒業後にワシントンDCに移り住んだが、その時から「セントロ」の伝説はたくさん聞いていた。しかしある日、アメリカン大学のトラックをジョギングしていた時、セントロをついに見かけたのであるが、その時は感動が特になかった。私はまだ20代半ばでアイビーリーグで学んでいたが、その若い頃の私から見て、トラックの周りを1マイル12分ぐらいのペースでよろよろ歩いている太った、少し髪が少なく乱暴そうな40代半ばの男が、かつてのアメリカの記録保持者であるということ、そしてアメリカン大学とリーボックのプロ集団の優れたコーチであるということを理解するには、少し時間を要したのである。

数か月後、夜9時ぐらいに荒れ果てたトラックを彼と一緒に34周ジョギングしたが、この時私は完全に理解したのである。私は家に帰り、ルームメイトにこう伝えた。「あの男は天才だ」と。ルームメイトは、セントロのノンプロのグループでトレーニングをしていたが、彼女に「セントロの元でトレーニング出来るなんて本当に素晴らしい」と伝えたのを覚えている。

この私の突然のひらめきは一体なんだったのか。特に複雑なことではないが、本当にシンプルなことだった。私は当時、自分よりも速い選手がいる街でマラソンを2時間20分台で走る選手であったが、驚いたことに、セントロは自分のことを知っていたのである。私たちは誰もいないトラックを数周一緒にジョグし、セントロは私に一体何をしてるんだと投げかけてきた。自分が全くスムーズに走れていなかったのは明らかであったのだろう。

私はたぶんこのようなことを言った気がする。「怪我をしていた、今はただ距離を踏もうと思ってるんだ」セントロは「バカなことはするな、すぐに家に帰れ」と言ったのだ。そして、私はその通りに、まっすぐ家に帰ったのだ。

 

この逸話を20年たった今、思い返すと、なぜこの出来事がこんなにも強い印象を私に与えたのか説明するのはとても難しいように思う。しかし、本当に強烈な印象を彼から受けたのだ。おそらく、現代の人たちは物事を遠回しに言うが、セントロは歯に衣着せず率直にアドバイスをくれ、それが自分の心にすごく刺さったのだろう。それに加え、彼のメッセージは素晴らしく簡潔で実行しやすく、自分にとって驚くほどに効果的であったのである。

私はランナーであるが、自分も含めて多くのランナーはすごくシンプルなスポーツを、すごく複雑なものにしてしまう傾向がある。もし健康ならば、たくさんトレーニングをして速く走ればいい。健康でないのなら、バカなことはせず、ダメージを身体に与えないことだ。

(注釈:少し言いすぎかもしれないが、物事を単純明快化することでマシュー・セントロウィッツ(息子)はリオオリンピックで金メダルを獲得したと言えると思う。素晴らしい選手であるのなら、駆け引きのあるレースではスタート直後に接触を避けるために前に出ることを恐れてはならない。)

 

マット・セントロウィッツの指導を無視できないということを知っているのは、私に限ったことではない。ワシントン市の市報に掲載されている2006年からのマット・セントロウィッツのプロフィールに、セントロウィッツと以前オレゴン大学でチームメイトだったスティーブ・マクチェスニーの話が出ている。彼によると、アルベルト・サラザールなど1970年代のチームメイトは、みんなセントロウィッツの言葉に耳を傾けていたという。「僕らはそんなに人の話を聞かなかったが、マットが怒ると、みんなマットの話は聞くんだ。」

この本に関するアドバイスをするならば、マット・セントロウィッツが書いた本ならば、買って読むべきだ、ということだろう。マット・セントロウィッツの本を買ったら、読まずにはいられないと思う。何もしない日曜の午後などに、すぐに読み終えてしまうだろう。本当のところ、もっと長く書かれていればよかったとさえ思ったほどだ。しかし、オレゴンでの最後の3年間の部分や、子育てについての部分は完全に省かれている。

マット・セントロウィッツがアイルランド人のメイドとユダヤ人のギャンブラーを両親に持ち、ブロンクスで生まれ育った彼が、いかにして陸上の世界に入っていったのか、その物語を知れる部分はこの本のお気に入りの箇所である。走ることでセントロウィッツは救われたのだろう。彼の両親が離婚し、父親が家族を見捨てたとき、彼の家族は生活保護を受けていた。ミドルスクールに上がるまでに、彼はすでにお酒やタバコをやっていた。中学ではどのクラスでも落第し、週末は少年院で過ごすことが多かったという。しかし、その後9年生の時に、彼は走ることを見つけたのである。

マット・セントロウィッツが走ることを好きになったのは、神に感謝すべきことである。もしマット・セントロウィッツが走る喜びを見出していなかったら、マシュー・セントロウィッツという名のアメリカ人のオリンピックチャンピオンを見る日はなかったのであるのだから。

 

この本を本当に楽しんで読ませてもらった。正直に言うと、私 (筆者=レッツラン編集者のロバート・ジョンソンが)の仕事は常にランニングについて読んだり書いたりすることであるが、ランニングに関する本を読むということはほとんど毎回拒否するのである。しかし、セントロウィッツのことは知っていたし、この本は絶対に読みたいと思ったし、読んで本当に良かったと思っている。興味深い逸話がたくさん盛り込まれていて、買う価値がある一冊である。

オレゴンにいる頃、マット・セントロウィッツは学校を抜け出し、スティーブ・プレフォンティンと一緒にMGBロードスターの車に乗って、午後にカードゲームをしに街に出かけた。その夜にプレフォンティンは自動車事故によって帰らぬ人となった。マット・セントロウィッツが高校時代にクレイグ・ヴァージンとの対戦から学んだこと、なぜ卒業後にアスレチック・ウェストの誘いを断ったのか、1976年モントリオールオリンピックのトレーニングキャンプでブルース・ジェナーと同室だったことなど、面白い逸話がたくさんある。(アスレチック・ウェスト:1977年にビル・バウワーマンフィル・ナイト、ジェフ・ホリスターが立ち上げたランニンググループである)

逸話の数々はとても面白いのは言うまでもないが、この本は本当によく書かれており、携わったすべての人の力も大きいだろう。この本が文学的名作だとは言わないが、その中には想像以上に哲学的示唆に富んだ箇所がある。そこがまたいいのである。一部を抜粋しよう。

【オレゴン大学チームの一員としてのセントロ】

“このチームはアメリカ中長距離界において最も優秀な選手の集まりであった。女を追いかけたり、酒を飲み夜更かしをする者もいた。あらゆる誘惑から目を背けるために、改心し休息や神への祈りの時間を大切にするものもいた。それでも、トラックに行けばみんな一緒だった。みんなが同じリズムを内に秘めていたし、気持ちはみんな一緒だった。そして、みんな同じ2つのことに情熱を注いでいた。オレゴン大学のライムグリーンのユニフォームに全身全霊捧げることと、勝負を制することだ”

オレゴンの森でロングランの大切さを知る】

“長距離選手は違う生き物である。サッカー選手や野球選手とも違うし、ゴルファーや他のスポーツの選手とも全く違う。私たちは互いにぶつかり合ったり、ゴールを決めるために1対1対の対決をしたりしない。その代わりに、選手としての多くの時間を、自分の考えに没頭し、孤独の中で過ごす。何時間ものトレーニングを一人で行い、まるでゆったりと動く気球のように自分の気持ちを解放させる。この素晴らしいトレイルコースを走っていて、瞑想をしているような、何か新しい発見をした。無意識に走ることの美学に浸れ、それが自分に浸透していくように感じるのである”

“Like Father, Like Son: My Story on Running, Coaching and Parenting”(「この父にしてこの子有り―走ること、コーチ、子育てについての私の話」より引用

もっと大事なことは、この本を読み終わったときに、マット・セントロウィッツがどのような人物であるのかを感じ取ることができるだろう。特に、プレフォンティンが亡くなった次の日にマット・セントロウィッツが取った行動は、彼の人となりをよく表していると思う。

 

“プレフォンティンが亡くなった次の日は土曜日で、通常は練習があるのだが、コーチであったビル・デリンジャーは今回の練習は自由参加だと言った。それにも関わらず、みんな練習に姿を現したのだ。しかし、その日は普通の練習とは全く違った。デリンジャーは練習メニューを告げたが、みんなビルのもとに集まったり選手同士で集まり、話し出した。みんな練習用のウェアを着ていたが、誰も走りたがらなかった。僕以外、誰もだ。

僕のことを無礼な奴だと思わないでほしい。僕たちはそれぞれの方法で、この悲しみをどうにかしようと必死だった。プレフォンティンはみんなと近しい仲であったわけではないが自分は違った。僕は彼が好きだったし、尊敬していた、そして彼のような選手になりたいと思っていた。彼があのような形で亡くなってしまって、僕はどうにかなりそうだった。でも、もし自分が先に死んだとしても、プレフォンティンは変わらずトレーニングをするだろうと思った。トラックに戻るということがプレフォンティンのやり方だと思った。そして、それがオレゴンのやり方だと。少なくとも、これが僕の解釈だった。だから、僕は走ったのだ”

“Like Father, Like Son: My Story on Running, Coaching and Parenting”(「この父にしてこの子有り―走ること、コーチ、子育てについての私の話」より引用

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息子のマシュー・セントロウィッツのタトゥー

この本は現在アマゾンで購入できる。ぜひ購入して読んでほしい。

息子のリオオリンピックでのアメリカ人の108年ぶりの男子1500m金メダルに興奮する父のマット・セントロウィッツの様子。

 

 

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(過去記事)伝説的アスリートであり、父親でもありコーチでもある、マット・セントロウィッツが 自叙伝を出版」への3件のフィードバック

  1. ピンバック: リオオリンピックと世界室内選手権1500m王者のマシュー・セントロウィッツが2018年の室内シーズンを回避しオーストラリアでレースに臨む – LetsRun.com Japan

  2. Tk

    いつも興味深く拝見しています。文章がとても上手で引き込まれてしまいます。マットは陸マガや月陸が満載していた高校時代の部室で知りました。たしか1980年のモスクワ五輪を見据えた1978年頃の春季サーキットで、スポニチ陸上や兵庫リレカにモーゼツやアシュフォードらとともに参加していたと思います。ロングヘアに口髭。まさにプリフォンテンを彷彿させる写真とともに、喜多秀樹選手らと競り合う姿が掲載されていました。囲み記事にはたしか「孤児院で働く優しい男」と解説されていたような気がします。

    今回彼の半生を初めて知ることができました。プリもそうですがマットもまた波瀾万丈の人生を歩んできたのですね。その息子が宿願の五輪、そして金メダルに輝く。まさに劇的だと思います。ぜひ和訳本が出ると嬉しいですね。主筆のますますのご活躍を祈念致します。

    いいね: 1人

    1. Tsukasa Kawarai a.k.a. SUSHI MAN

      Tk様

      いつもご覧になって戴きありがとうございます。私はこの記事で振らられている通り、31歳という年齢から、マットのことはもともと知りませんでした。しかし、こういう形で紆余曲折の人生を経て、息子が悲願を達成したというのを知り、また感慨深いモノがあります。
      映画が公開されれば、英語の字幕であったとしても映像だけでも見てみたいモノですね。昔の西海岸の往年の中長距離選手の全盛期を想像すると、それを見れなかったのは残念ではありますが、こうやって時が立ってもたくさんの人たちに伝えることができますので、今後も地道に記事を書いていきます。

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